2010年1月17日日曜日

歌唱二郎山

昨日普天堡版のmp3をうpした中国の「歌唱二郎山 (Gēchàng Èrláng Shān, グァチャン アーランシャン)」について。なんでも昔、中国で一世を風靡した歌だとかで、百度で検索すれば音源が腐るほど出て来ます。オリジナルも情緒があっていいけど、やっぱ普天堡のアレンジ版が格好良すぎ。素晴らしい。

それで、この歌については、「日本の極右紙」という枕詞でおなじみの産経新聞でかつて取り上げられた
【音楽の政治学】歌唱二郎山 チベット悲劇に至る血塗られた道路 
2008.5.3 13:50

 二郎山よ、万丈の高さを解放軍が恐れようか 鍛えた鉄のような漢(おとこ)が決心したからには 鋼のように固く 公道をチベットまでつくるのだ…

 1950年代初頭に中国を一世風靡(び)した「歌唱二郎山」(作曲・時楽濛、作詞・洛水)。勇壮にして軽快。中国内地の四川省成都とチベット・ラサをつなぐ最初の道路「川蔵公路」の工事を行いながら進軍した人民解放軍の艱(かん)難辛苦を民謡風に歌いあげている。

 50年4月、毛沢東主席の命を受け、解放軍第二野戦軍第18軍を中心とする11万の工兵らが、全長2400キロ、平均海抜4000メートル以上の山々を超えゆく道路を敷設するという難工事に挑んだ。その最初の難関が、四川省雅安市天全県に位置する海抜3437メートルの二郎山。霧深い原生林、薄い空気に、土砂降りといった悪天候。岩盤や落石などが工事を阻んだ。低温による睡眠不足、食糧不足による疲労と飢餓で兵士はばたばた倒れたが、その屍(しかばね)を乗り越えて軍は進んだ。

 飢餓は「餓死した馬の血を飲み、肉を食い、その皮を煮て保存食とした」「防寒着の綿をかき出して食った」というほどすさまじかった。54年12月、道路がラサに貫通するまで実に3700人以上の将兵の命が失われたという。

 この道路敷設の第一目的は「チベット解放」(51年)につながる「チャムド侵攻」(50年10月)の成功だった。主力部隊と連携し、第18軍52師団154団は未踏の地を切り開いて金沙江(長江上流)岸からチベット軍を包囲。この作戦を陰で支えたのは、地元のチベット族コミュニストたちだ。金沙江岸のチベット族の多くがチベット政府が派遣した腐敗役人の圧政に耐えかね、マルクス・レーニンの民族主義政策に共鳴していた。解放軍に食糧を運び複雑な地形を案内した。

 おそらく当時、命をあがなって道路を敷設した解放軍兵士も、協力したチベット族も、この歌を誇らしげに歌った人民も共産党の正義を信じていたのだろう。すべての民族が平等に自決権をもつ明るい共産主義社会をもたらす救世主だと。だが、「解放」は彼らが想像していたものとまたく違うことをすぐに思い知る。

 チベットの悲劇と今にいたる民族問題は、この1本の血塗られた道路から始まった。そう思うと、勇壮軽快な歌声は鎮魂歌のように胸をかきむしるのである。

(北京 福島香織)
この「音楽の政治学」っていう産経国際面の連載は、軍歌愛好家やそれに類する趣味者(朝鮮音楽愛好家など)にとっては興味深い内容が多いですね。「さらば革命的世代」と並んで、書籍化されたら絶対買いたい連載であります。

ちなみにこの福島香織記者は去年11月に産経新聞社を退職している


▲二郎山トンネルと「歌唱二郎山」歌碑

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