2011年3月8日火曜日

「民主青年行進曲」と「朝鮮青年行進曲」

最近古い歌ばっかりだが、今日も古い歌。1947年(46年?)にキム・ウォンギュンが作曲した「民主青年行進曲」である。キム・ウォンギュンというと、「愛国歌」や「金日成将軍の歌」を作曲した、あのキム・ウォンギュンだ。この歌は最近、共和国が歌詞の一部とタイトルを改め「朝鮮青年行進曲」として発表したということで取り上げてみた。

まずはオリジナル「民主青年行進曲」の歌詞和訳から。「朝鮮青年行進曲」と異なっている箇所は斜体にして下線を引いた。
民主青年行進曲
歌詞日本語訳

我らは民主青年 三千万人民の子ら
民主朝鮮を創建する 荘厳なる明日の闘士だ
職場から 学園から 民主の若い力が湧き出でて
建設の歌力強く 金将軍のまわりに団結しよう
勝利は我らのもの 真理として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

人民の巨大な力 三千里の新たな国を照らす
抗日の輝く伝統 我らは固く守らん
あらゆる自由 あらゆる幸福 我らの手でもたらしたのだ
民主の旗は空高く 金将軍のまわりに団結しよう
勝利は我らのもの 真理として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

我らのゆく手は困難でも 怯えるものはない
逞しい手をした我ら青年  洋々たる未来は開かれた
山を越え 海を渡り 民主の若い力は伸びてゆくのだ
友よ 手を取り合って 金将軍の回りに団結しよう
勝利は我らのもの 真理として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

歌詞はこの動画から取りました↓


この歌が1947年創作だという情報の出典はNaenaraに掲載されているキム・ウォンギュのプロフィール。加えて動画の冒頭にも「1947年創作」とキャプションが付いている。この歌詞が1947年創作当時の歌詞そのままだという保証はどこにも無いが、1947年当時の歌詞だとしても特に違和感はない。今回はとりあえずこれがオリジナル歌詞だということにして、話しを進めたいと思う。

では、続いて、新しい方の「朝鮮青年行進曲」。変更箇所は斜体・下線。
朝鮮青年行進曲
歌詞日本語訳

我らは朝鮮青年 知恵ある人民の子ら
富強祖国を建設する 荘厳なる明日の闘士だ
職場から 学園から 我らの若い力が湧き出でて
足取りも力強く 金将軍のまわりに団結しよう
勝利は我らのもの 真理として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

人民の巨大な力 我が国の山河にみなぎり
抗日の輝く伝統 我らは固く守らん
あらゆる希望 あらゆる幸福 我らの手でもたらしたのだ
赤旗は空高く 金将軍のまわりに団結しよう
勝利は我らのもの 真理として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

我らのゆく手は困難でも 怯えるものはない
全世界に先んじて 洋々たる未来は開かれた
山を越え 海を渡り 我らの若い力は伸びてゆくのだ
友よ 肩を組んで 金将軍の回りに団結しよう
勝利は我らのもの 真理として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

朝鮮青年行進曲


この「朝鮮青年行進曲」は、歌詞と楽譜が労働新聞(2月28日付)の1面に掲載された。




で、「朝鮮青年行進曲」の楽譜が労働新聞に載ったことについて、聯合ニュースがこんな記事を出している。下に引用するのは日本語版だが、韓国語版でも記事の趣旨は同様で、「パルコルム」の歌詞や後継関連の動きなどについての補足が少し多い感じである。

金正恩氏をたたえる新曲か、北メディアが歌詞を紹介

【ソウル28日聯合ニュース】北朝鮮が金正日(キム・ジョンイル)総書記の後継者、三男の正恩(ジョンウン)氏をたたえるとみられる新曲を紹介し、注目を集めている。

 朝鮮中央通信は28日、27日付の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」が「朝鮮青年行進曲」という歌を掲載したとし、この歌の楽譜と歌詞を紹介した。歌詞に「金将軍の周囲に集まろう」という部分があり、正恩氏を偶像化し、後継体制づくりを強固にする狙いがあるとみられる。

 また、北朝鮮では金総書記を「将軍さま」と称するが、この歌の歌詞に出てくる「金将軍」は、「さま」が付いていないため正恩氏を指しているのではないかとみられる。「金将軍」という表現が正恩氏を意味するのであれば、これまで「青年大将」「金大将」と呼ばれていた正恩氏の呼称が「将軍」に格上げされたとの見方も可能だ。

 これまで正恩氏をたたえる歌として対外的に知られている曲は「パルコルム(足取り)」しかない。北朝鮮は2009年1月、正恩氏を事実上の後継者に内定した直後に「パルコルム」を発表し、住民に学習させた。「パルコルム」の歌詞には正恩氏を象徴するとされる「金大将」や、金総書記の誕生日(2月16日)を示唆する「2月の偉業を受け継いで」などの表現があり、後継者の決定を暗示している。

 また、労働新聞は28日付で「青年らは朝鮮青年行進曲を高らかに歌い、昨今の大高潮激戦で先軍青年前衛の栄誉を轟かそう」と題した社説も掲載した。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/northkorea/2011/02/28/0300000000AJP20110228004600882.HTML

この記事では「朝鮮青年行進曲」が1947年の「民主青年行進曲」の改変版であることは言及されていない。記者はこの歌がまったくの新曲だと思って書いたのだろう。1947年ということは、「金将軍」が金日成を指しているということは自明である(当時まだ「首領様」という呼称はなく「金日成将軍」と呼ばれていた)。「この歌の歌詞に出てくる『金将軍』は、『さま』が付いていないため正恩氏を指しているのではないか」という分析についても、「金日成将軍の歌」「金正日将軍の歌」を引き合いに出すまでもなく、歌での歌詞では「金正日将軍」のように「様」を付けないことは何ら異例ではない。また、記者はこの歌の一節に「パルコルム」という歌詞があることについて触れていない(「民主青年行進曲」にはその歌詞が無い)。だから、この記事中で述べられているだけ根拠でこの歌を金正恩関係の歌だと言われても、あまり説得力が無いのである。

ところで、この「朝鮮青年行進曲」について報じたメディアがもう一つあった。Daily NK(韓国語版)である。この記事で注目すべきは、「朝鮮青年行進曲」が「民主青年行進曲」の詞を改変したものであるということを、脱北者の証言として伝えていることだ。当該箇所を訳出してみる。

脱北者らによれば、この曲は1946年1月17日に「北朝鮮民主青年同盟(民青)」が創立された後に発表された「民主青年行進曲」を改詞したものだ。この歌は中学生の登校や国家記念日を迎えた青年団体(大学)の歌唱行進に際して歌われていたと伝えられる。

80年代当時に歌われていた歌詞は、1節「建設の歌力強く 首領様のまわりに団結しよう」、2節「我が党のまわりに団結しよう」、3節「我が祖国を建設してゆこう」。これらを「部分」改詞したわけだ。

北朝鮮では金正日を「将軍様」と呼称するが、この歌の歌詞では「様」という依存名詞は付けられなかった。ゆえに、「金将軍」は金正恩を指していると見られる。そのため、「青年大将→金大将→金将軍」として呼称を徐々に格上げしながら「金正恩体制」を本格化させているという解釈も出ている。

北朝鮮が新聞を通じて「建設に歌→足取り(パルコルム)」「首領様・我が党→金将軍」などと改詞した曲を「朝鮮青年行進曲」として紹介したことは、住民たちに広く知られた歌を通じて金正恩偶像化を本格化させているとも読み取れる。

(中略)

労働新聞は28日1面に「青年たちは朝鮮青年行進曲を高らかに歌い、今日の大高潮激戦で先軍青年前衛の栄誉を轟かそう」と題する社説を掲載している。

これについて、ある高位脱北者はデイリーNKに「『金将軍』は金正恩を指しているように思われる」、また「これまで金正恩を『青年大将』『金大将』として偶像化のレベルを高めてきたし、この曲が『青年』を強調しているという点において金正恩を褒め称えるためのものであるように思われる」と説明した。
そして、最後に「労働新聞が載せた『朝鮮青年行進曲』の歌詞」を引用して、括弧付きで脱北者が記憶する80年代の「民主朝鮮行進曲」における相違点を付記している。訳は次の通り(Daily NKで括弧付きになっている部分を斜体・下線付きとした)。
我らは朝鮮青年 知恵ある人民の子ら
富強祖国を建設する 荘厳なる明日の闘士だ
職場から 学園から 我らの若い力が湧き出でて
建設に歌 力強く 首領様のまわりに団結しよう
勝利は我らのもの 鋼鉄として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

人民の巨大な力 我が国の山河にみなぎり
抗日の輝く伝統 我らは固く守らん
あらゆる希望 あらゆる幸福 我らの手でもたらしたのだ
赤旗は空高く 我が党のまわりに団結しよう
勝利は我らのもの 鋼鉄として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

我らのゆく手は困難でも 怯えるものはない
全世界に先んじて 洋々たる未来は開かれた
山を越え 海を渡り 我らの若い力は伸びてゆくのだ
友よ 肩を組んで 我が祖国を建設してゆこう
勝利は我らのもの 鋼鉄として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう
いかがだろうか。思うに、
①「朝鮮青年行進曲」が大昔に作られた「民主青年行進曲」の詞を改変したものであること 
②「民主朝鮮行進曲」が北朝鮮で広く知られた歌であること 
③「建設に歌→足取り(パルコルム)」の歌詞改変
——この3点に注目したうえで「朝鮮青年行進曲」が金正恩関係の歌である可能性を指摘しているDaily NKの記事は、先ほどの聯合ニュースの記事より説得力がある。

そして、脱北者が証言する「80年代当時に歌われていた歌詞」であるが、これは、冒頭に載せた「民主青年行進曲」(オリジナル)の歌詞とも、今回発表された「朝鮮青年行進曲」の歌詞とも微妙に異なっている。ただ、上に掲載した「民主青年行進曲」(オリジナル)の動画のようなテレビ映像が存在していることからして、「80年代版改変歌詞」の登場によってオリジナルの歌詞が葬り去られてしまったわけではないらしいということがわかる。以上を踏まえて3つの歌詞を見比べてみると、「民主青年行進曲」(1947年)→「民主青年行進曲」(80年代)→「朝鮮青年行進曲」と進化していったわけではなく、「民主青年行進曲」(80年代)と「朝鮮青年行進曲」がそれぞれオリジナルから派生したものだと推測できる。

結論として、「朝鮮青年行進曲」が大なり小なり金正恩を意識させる意図をもって発表された歌であることは確かだろう。しかし、「金大将」が金日成なのか金正恩なのかついては、明確な答えは見出せなかった。

これは私の推測だが、共和国の政権は、あえてそれを曖昧なままにしているのではないだろうか。すなわち、オリジナル歌詞で金日成を指していた「金将軍」の指す対象を金正恩に塗りかえてしまうことは、共和国のイデオロギーに照らして正当化できるのか甚だ疑問である。ただ、イデオロギー的正当性などというのは建前上の問題に過ぎない。実際のところ、このタイミングで、しかも「パルコルム」というキーワードとセットで「金将軍」という耳慣れない呼称を聞いたら、大半の人はそれが金正恩を指していると認識するだろう。それを狙っているのではないか。

たとえば、先日取り上げた「女性の歌」も1947年創作なので、歌詞中の「将軍様」は金日成を指している。しかし、現代において「将軍様」と言ったら金正日の呼称だ。「女性の歌」を歌う普天堡電子楽団、それを放送するテレビ局・ラジオ局、それを聴く人民は、その「将軍様」が金正日ではなく金日成だと認識した上で歌い、放送し、聴いているのだろうか?こういった「勘違い」を共和国のメディアが防ごうとしている形跡は私が知る限り無い。「朝鮮青年行進曲」の「金将軍」の件も、それと同じ次元の問題だ。

やはり、最新朝鮮音楽における金正恩の呼称問題について論じるならば、「じゃあ金正日のときはどうだったの?」という観点も避けては通れない。ただ、今回はそこまで手が回らないので、このくらいで閉めさせていただく。

最後にひとこと。朝鮮音楽の歴史上、このような歌詞改変は枚挙にいとまがないであろう。当サイトでも過去に「少年団行進曲」の歌詞の変化を取り上げた。今回は初めて「リアルタイム」で歌詞改変に立ち会えたような気がしていて(実際はパソコン画面の前に座ってるだけだけど)、感慨もひとしお、朝鮮音楽愛好家冥利に尽きるといったところである。そんなわけで無駄に熱が入って長文を書いてしまった。


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2011/03/13 3時57分
「キム・ウォンギュン」が「キム・ウォンギュ」になっていたのを直しました。
2016/05/10 23時05分
コメント欄でのご指摘に基づき「民主朝鮮行進曲」の和訳を修正。
 
(^q^)