2011年6月21日火曜日

李冕相(リ・ミョンサン)作曲集

1989年2月16日に平壌で発行された『리면상작곡집』(李冕相作曲集)の全掲載曲名と創作年度を書き出してみました。
李冕相の作品は解放前のものも含めると700曲にのぼるらしいので、同書に掲載されているのはその1割程度ということになりますが、それでも作曲家・李冕相の足跡をたどるうえで極めて有用な資料だと思います。
なお、このリストは創作年度順に並べてかえてあるので、実際に同書に掲載されている順序とは異なります。また、日本語訳は私が付けたものです(なので間違っているかもしれません)。

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曲名曲名(日本語訳)創作年度

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우리의 동해는 좋기도 하지我らの東海のなんとよいことか조선민요

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뻐국새かっこう조선민요

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소년단행진곡少年団行進曲1946

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빛나는 조국輝く祖国1947

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산업건국의 노래産業建国の歌1947

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승리의 5월勝利の5月1947

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승리의 거류勝利の巨流1947

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새 봄의 노래新しい春の歌1948

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산으로 바다로 가자山へ海へ行こう1948

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비료달구지肥料の牛車1948

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졸업식가卒業式の歌1948

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조국보위 노래祖国保衛の歌1950

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문경고개聞慶峠1950

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어머니의 노래母の歌1951

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전사와 처녀戦士と娘1951

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내 고향의 정든 집我が故郷の懐かしい家1952

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봄노래春の歌1952

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압록강 2천리鴨緑江2千里1952

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물레야 동무야糸車よ、友よ1952

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세 동서3人の相嫁1952

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보병행진곡歩兵行進曲1952

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청년유격대青年遊撃隊1953

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철원령고개鉄原嶺峠1953

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갈매기かもめ1953

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전투의 기발이 앞에 날린다戦闘の旗が前に翻る1953

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우리는 승리했네我らは勝利した1953

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일잘하는 복구대仕事上手な復旧隊1953

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어뢰정의 노래魚雷艇の歌1954

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바다의 안해海の女房1954

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돌아오는 길帰り道1954

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대동강大同江1954

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벌판에서原野で1954

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조국이여 영광 있으라祖国よ栄光あれ1954

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벼낟가리稲叢1954

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노래하자 대동강歌おう大同江1954

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영광의 땅 보천보栄光の地、普天堡1955

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나의 수도여我が首都よ1955

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민청원의 노래民青員の歌1955

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종갈새야 너도 노래불러라ヒバリよ、君も歌え1955

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색동저고리セクトンチョゴリ1955

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우리는 조선인민군我らは朝鮮人民軍1956

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통일의 기치높이 앞우로統一の旗幟高く前へ1956

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옥분이의 신랑감オクプンの花婿候補1957

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에헤루 상사디야エヘルサンサディヤ1957

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가야금이 울리네カヤグムが鳴る1962

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금수강산錦繍江山1962

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천리마의 노래千里馬の歌1963

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동해의 달밤東海の月夜1963

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어머니당이여母なる党よ1964

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우리 자랑 이만저만 아니라오我らの誇り、限りなし1964

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겨레여 뭉쳐 나가자民族よ、団結して進もう1964

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눈이 내린다雪が降る1965

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농업근로자행진곡農業勤労者行進曲1965

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인민은 노래 드리네人民は歌を捧げる1967

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혁명의 승리가 보인다革命の勝利が見える1968

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오늘은 기쁜 명전 4월 15일今日は喜びの名節4月15日1968

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자랑많은 백두산誇り高い白頭山1968

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아 수령님 품이여ああ、首領様の懐よ1969

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끝없는 이 행복 노래부루네限りないこの幸福を歌う1969

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금강산의 붐金剛山の春1969

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북쪽하늘 우러러北方の空を仰いで1969

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민족해방 민주주의 혁명을 완수하자民族解放民主主義革命を完遂しよう1969

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김일성원수님 초상화金日成元帥様の肖像画1969

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김일성원수님 만수무강하세요金日成元帥様、万寿無彊で1972

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우리의 아버지 김일성원수님 만세我らの父なる金日成元帥様万歳1972

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김일선 원수님 만세金日成元帥様万歳1974

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우리들의 붉은마음 하나입니다我らの真心はひとつです1975

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유격대 군복감을 어서 짜세나遊撃隊の軍服の生地を早く織ろう1978

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은혜로운 사랑의 품ありがたい愛の懐1984

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당은 내 삶의 어머니党は我が生の母1986


このリストを眺めて思ったことを書き散らしてみると…

  • 唯一思想体系確立(すなわち金日成の神格化)の動きが始まったのが1967年。李冕相はその頃になって急に金日成を主題とするような歌を作曲しだしていて、それ以前は金日成を主題としていると思われる歌がない。もちろん、このリストに載っていないだけで実際には存在したのかも知れませんが、共和国が「李冕相の主要作品70曲」と判断した曲のなかには少なくとも無いということ。
  • 李冕相が何らかの信念をもって1967年まで粘ったということか?
  • 1967年までは芸術家が金日成の神格化に積極的に協力しないことも許されたといことか?
  • 金元均が1946年に「金日成将軍の歌」を作曲したのとは対照的である。
  • 李冕相は金元均より9歳年上で、歌劇「紅楼夢」の作曲を担当したり血の海式歌劇の確立にも関与したりと、活動の幅・質・量ともに李冕相のほうが優っているように思う。なのに、なにかと金元均のほうが厚遇されている印象がある(たとえば、金元均は労力英雄の称号を受称しているが、李冕相はしていない)。これは、共和国の認識として、李冕相の全作品が束になっても金元均の「金日成将軍の歌」と「愛国歌」には勝てない——というのももちろん原因としてあるだろう。だが、それだけではなく、李冕相自身が金日成の神格化に(1967年までは)あまり協力的ではなかったという理由もあったのではないか?


こんなところでしょうか。非常に雑然としていて申し訳ないです。適当な推測なので信用しないでください。


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2011/06/22 14:55 修正

『カラスよ屍を見て啼くな:朝鮮の人民解放歌謡』(山根俊郎著、長征社、1990年)によれば、李冕相は1959年以前に労力英雄称号を受称していたようです。
『朝鮮歌謡大全集』には、金元均は労力英雄と書いてあって、李冕相についてはそうと書かれていなかったので、てっきり李冕相は英雄称号をもらっていなかったのかと思っていました。
なので修正。


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2011/06/24 4:51 修正

たびたびすみません。同書を再確認したところ、「労力英雄」ではなく「労力勲章」でした。やっぱり英雄称号は受称していないのか?
 
(^q^)