2013年11月29日金曜日

カンタータ「鴨緑江」 (교성곡《압록강》)

ことしもこの季節がやってまいりました。カンタータ「鴨緑江」です。
カンタータ「鴨緑江」
교성곡 «압록강»
1949年 創作
趙基天 作詞
金玉成 作曲
第1楽章
この国の 北の辺の長江
七百里の鴨緑江 その清き流れが
夕陽に 照らされるとき
黄昏を積んで
いかだが下る いかだが下る
だれの 涙うるむ身のうえ話が
そのいかだに宿って
だれの 恨み多き一生が
焚き火に燃え
一筋の煙となって 消えたのか
「草笛 吹き吹き さおさす身
ふるさと すでに はるかなり
山越え 雲追い どこまでも
エヘヨ エヘヨ 流れゆく
エヘヨ エヘヨ 流れゆく」
なんと悲しい 歌だろう
この地の うっそうたる 密林を

切りだす いかだの歌だから
その歌は かくも悲しいというのか
この国の 北の辺の長江
七百里の鴨緑江 その清き流れが
夕陽に照らされるとき
黄昏を積んで
いかだが下る いかだが下る
涙うるむ いかだが下る
이 나라 북변의 장강
칠백리 압록강 푸른 물에
저녁해 비꼈는데
황혼을 담아 싣고
떼목이 내린다 떼목이 내린다
뉘의 눈물 겨운 이야기
떼목우의 깃들었으냐
뉘의 한 많은 평생
모닥불에 타서
한 줄기 연기로 없어 지느냐
물피리 불며 울며 흘러 갈제
강 건너 천리길을 이미 떠난 몸
재 넘어 구름 따라 끝없이 간다
에헤용 에헤용 끝없이 간다
에헤용 에헤용 끝없이 간다네
저 노래 어이 슬프단 말인가
이 땅의 청청밀림

찍어 내거니
그 노래 어이 슬프지 않으랴
이 나라 북변의 장강
칠백리 압록강 푸른 물에
저녁해 비꼈는데
황혼을 담아 싣고
떼목이 내린다 떼목이 내린다
눈물 겨운 떼목이 내린다
第2楽章
黄昏も 深まり
水も 冷え
つめたい夜風が
川岸を 吹きぬけるころ
川むこうの岩陰から
口笛が鳴って
いかだからも 焚き火が めらめら
下っていた いかだが
向きを変える 向きを変える
頭は あっちの川岸に
尾は こっちの川岸に
下っていた いかだが

向きを変える
頭は あっちの川岸
尾は こっちに
いかだの橋が できたのだ
黄昏も 深まり
水も 冷え
つめたい夜風が
川辺を 吹きぬける
軍人たちが いかだを足場に
鴨緑江を渡ってくる
パルチザンが 鴨緑江を渡ってくる
彼らが隠れ終えたとき
いかだの橋は もうなく
さらさら ざあざあ 冷たい波だけが
川岸に砕る
冷たい波だけが 川岸に砕けるけれど
いかだの歌が 遠くから

聞こえてくる
황혼도 깊어 지고
물결도 차지고
서늘한 밤바람
강가에 감돌아 돌무렵
강 건너 바위밑에서
휘파람소리 나더니
떼목에서 모닥불이 번뜩번뜩
내려 가던 떼목이
돌아 간다 돌아 간다
머리는 저편 강가
꼬리는 이편 강가에
내려가던 떼목이

돌아 간다
머리는 저편 강가
꼬리는 이편에
떼목다리 이루었네
황혼도 깊어 지고
물결도 치지고
서늘한 밤바람
강가에 감도네
군인들이 떼목 타고
압록강을 건너 온다
빨찌산이 압록강을 건너 온다
그들이 숨었을 때
떼목다리 간데 없고
출렁 처절석 찬물결만
강가에 깨지네
찬물결만 강가에 깨여 지는데
떼목노래 멀리서

들려 온다
第3楽章
生きて 住むところなく
死して 臥すところないほど
あますところなく 奪われ 失って
聞いておくれ 同胞よ
聞いておくれ 同胞よ
胸がくぼむほどの ため息で
この川を越え 異邦の荒れ地に
乞食の恨めしい一歩を
踏み入れた あの日
あの日から 幾歳
あの日から 幾歳 経たことか
川を越えた民の ため息か
ため息の 化身なのだろうか
川の水は 寄せては消え
ほとばしり 寄せては消える
川を越える 百姓の 涙だろうか
涙の 化身なのだろうか
生きて 住むところなく
死して 臥すところないほど
あますところなく 奪われ 失って
聞いておくれ 同胞よ
聞いておくれ 同胞よ
살아서 살 곳 없고
죽어서 누울 곳 없고
모두 다 잃고 빼앗겼으니
물어 보자 동포여
물어 보자 동포여
가슴 꺼지는 한숨으로
이 강 건너 이방의 거친 땅에
거지의 서러운 저 걸음
옮기던 그날
그날부터 몇몇해나
그날부터 몇몇해나 지났느냐
강 넘은 백성의 한숨이나
한숨이나 아닌가
물줄기는 부서 지고
솟아서 부서 진다
강 넘은 백성의 눈물이나
눈물이나 아닌가
살아서 갈 곳 없고
죽어서 누울 곳 없고
모두 다 잃고 빼앗겼으니
물어 보자 동포여
물어 보자 동포여
第4楽章
鴨緑江 鴨緑江
だが おまえ 今宵は 荒れ狂え
激浪をおこし 山河に轟かせよ
鴨緑江 鴨緑江
激浪をおこし 山河に轟かせよ
鴨緑江
この国のパルチザンたちが
解放の炎を ふりまき
おまえを超えて やってきたのだ
鴨緑江を 渡ってきた

鴨緑江 鴨緑江
この国の烈士たちが
解放の 炎をふりまき
おまえを越えて やってきたのだ
鴨緑江を越え やってきたのだ
意志を研いで 銃剣とし
この国の烈士たちが
祖国の地へ 渡ってきた
この国のパルチザンたちが
解放戦の 炎をふりまき
おまえを越えて やってきたのだ
おまえ 鴨緑江を
この国の烈士たちが 渡ってきた
鴨緑江 ああ
おまえ 今宵は 荒れ狂え
ああ 激浪をおこし 山河に轟かせよ
ああ この国の烈士たちが
鴨緑江を越えてきた
決戦の 雄叫びをあげよ!
압록강 압록강
이 밤엔 그대 날뛰라
격랑을 일으켜 강산을 울리라
압록강 압록강
격랑을 일으켜 강산을 울리라
압록강
이 나라 빨찌산들이
해방의 불길을 뿌리며
그대를 넘어 왔다
압록강를 넘어왔다
압록강 압록강
이 나라 렬사들이
해방의 불길을 뿌려
그대를 넘어 왔다
압록강를 넘어 왔다
의지를 갈아 창검으로
이 나라의 렬사들이
조국땅에 넘어왔다
이 나라의 빨찌산이
해방전의 불길을 뿌리며
그대를 넘어 왔다
그대여 압록강을
이 나라의 렬사들이 넘어 왔다
압록강 아-
이 밤엔 그대 날뛰라
아- 격랑을 일으켜 강산을 울리라
아- 이 나라의 렬사들이
압록강을 넘어 섰다
결전을 부르짖으라!

■歌詞について

カンタータ「鴨緑江」は、趙基天[チョ・ギチョン]の長編叙事詩「白頭山 (백두산)」(1947年)が原作だ(趙基天については「口笛」の記事で言及した)。ここでで引用されているのは、「白頭山」の第6章。「鴨緑江」ではパルチザンが鴨緑江を渡ったところで終わってしまうが、原作ではその後、「キム隊長」らパルチザン部隊が「H市」に辿り着き、駐在所や官舎を襲撃。第7章で日本側の討伐隊による追撃にあいながらも、再び鴨緑江を渡って逃げ切ったところで物語が終わる。つまり、1937年の普天堡戦闘を題材とした作品なのだ。

今回、「鴨緑江」の和訳にあたっては、許南麒訳『白頭山—趙基天詩集』(太平出版社、1974年)を参考にした。朝鮮語の原文を尊重しつつ、許南麒訳にも配慮して訳したつもりである。岩波版『春香伝』などの訳者としても有名な詩人・許南麒による『白頭山』の訳は、原文の朝鮮文学らしい平易さと格調高さとを日本語で絶妙に表現しており、まさに名文と言えると思う。それゆえ、私などが筆を入れるのは畏れ多いが、カンタータ「鴨緑江」とその原文である「白頭山」とでは少なからぬ差異があり、許南麒訳を生かしつつも、かなり手を加える必要があった。

なお、ここに掲載した歌詞では、実際の歌唱において存在する歌詞の繰り返しなどが省略されている箇所もある。



■解説

カンタータ」は、朝鮮音楽愛好者より、むしろヨーロッパのクラシック音楽に造詣がある人にとって親しみ深い音楽形式ではないだろうか。元来、カンタータは近世ヨーロッパにおける教会音楽のジャンルのひとつである。しかし、一般に「カンタータ」というときのそれに関して、明確な定義が存在するわけではないようだ。日本語では「交声曲」と訳されることがあり、朝鮮語でも同様である("교성곡")。『朝鮮語大辞典 (조선말대사전)』(1992年版)は「交声曲 (교성곡)」を次のように説明する(訳:筆者)
交声曲 [名] 《音楽》 管弦楽と独唱、重唱、 合唱などによって構成された、比較的大きい規模の声楽曲。劇的な性格を帯びたものが多い。‖〜《鴨緑江》。
このように、『朝鮮語大辞典』も交声曲(カンタータ)の定義について、さほど多くを語ってはいない。要するに、ここに書かれている以上のはっきりとした定義はなされていないということだろう。それよりも、この記述の末尾において「交声曲《鴨緑江》」が例として挙げられていること、つまり、『朝鮮語大辞典』が同曲を朝鮮における交声曲(カンタータ)の代表作とみなしているらしいことのほうが、ここでは注目に値するかもしれない。

1945年8月、解放を迎えた朝鮮は、その北半分がソ連軍によって占領された。間接統治による占領行政を開始したソ連軍は、音楽を大衆動員・大衆教育の重要な手段と位置づけ、音楽家の教育と組織化に着手した。日本の植民地支配のもとで音楽教育を受けた音楽家も、そうでない音楽家も、ソ連音楽に学び、ソ連音楽を模範として音楽活動をすることになった。1948年9月に朝鮮民主主義人民共和国が建国され、同年12月にソ連軍は朝鮮からの撤退を完了したが、その後も朝鮮音楽はソ連の強い影響のもとに発展を続けた。

遅くても1947年春ごろには、ソ連対外文化連絡協会在平壌文化会館を介し、ソ連作曲家同盟から朝鮮の音楽家たちへ具体的な指導が行われるようなったようである。また、「金日成将軍の歌」(1946年)や「愛国歌」(1947年)を作曲した金元均[キム・ウォンギュン]をはじめ、数多くの作曲家や演奏家がモスクワやレニングラードに留学し、現地で直接、最先端のソビエト音楽を学んだ。

そういった過程でソ連音楽から輸入されたのが、カンタータやオラトリオといった形式だったのである。折しもこの時期、ソ連では共産党やスターリンを称揚するカンタータ・オラトリオが盛んに創作されていた。プロコフィエフやショスタコーヴィチなどの著名作曲家も、その一翼を担っていた。「ピオネールは木を植える」で知られるショスタコーヴィチのオラトリオ「森の歌」は1949年創作。まさに「鴨緑江」(1949年創作)と同時代の作品なのだ。この時期、朝鮮では「鴨緑江」のほかにも相当数のカンタータ・オラトリオが創作されていたことが、記録に残っている。

しかし、冒頭でも述べたが、こんにち朝鮮の音楽芸術を享受するわれわれにとって、「カンタータ」というのは馴染みが薄い形式である。これまで本サイトで紹介した200以上の音楽作品は、すべて「有節歌謡形式」だ。有節歌謡とは、「1番、2番...」というように異なる歌詞で同じ旋律を繰り返す歌謡の形式のこと。歌詞が進むごとに異なる旋律をつけていくカンタータのような「通作歌謡」と対をなす表現である。朝鮮では、ある時期を境に、ほとんど有節歌謡しか創作・上演されなくなったのだ。

そう、このたび取りあげたカンタータ「鴨緑江」も、いまや朝鮮では忘れ去られた名曲なのである。後述する「朝鮮新報」の記事によれば、いまや朝鮮でも「鴨緑江」の全4楽章の総譜は見あたらないという。『朝鮮歌謡大全集 (조선노래대전집)』(2002年)には第1楽章のみ収録されている。

だが、この作品がいまでも受けつがれ、歌いつがれているコミュニティがある。朝鮮大学校関係者を中心とした在日コリアン社会だ。在日社会におけるカンタータ「鴨緑江」については過去に何度か「朝鮮新報」で取りあげられているので(これこれ)、ここで説明するよりもそちらをお読みいただいたほうが早いだろう。


■音源



第1楽章 / 第2楽章 / 第3楽章 / 第4楽章


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2014/03/14 解説を少し手直し

1 件のコメント :

  1. 私は第二楽章が好きです。

    ところで、最近新しい曲が出てきたみたいです。
    「私たちはあなたしか知らない」
    というものなんですが・・・。

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(^q^)