2014年3月17日月曜日

祝福の歌 (축복의 노래)

祝福の歌
축복의 노래
不朽の古典的名作
光なき山河に 春を呼んでくださり
朝鮮を輝かせてくださった 父なる将軍様
はるかな空の果てに 砲煙が立ちこめれば
人民は ご健勝を お祈り申し上げます

国の運命 一身に担われる
父なる将軍様 人民の首領様
過酷な前線にて ご健勝であられることは
国じゅうの家庭の 幸福であります

米帝を 破ってくださった 英雄の地に
楽園を築いてくださる 父なる将軍様
燦爛たる 朝鮮の 未来のため
人民は ご健勝を お祈り申し上げます
어둡던 강산에 봄을 주시고
조선을 빛내신 아버지장군님
저 멀리 하늘가 포연이 서리면
인민은 안녕을 축복합니다

나라의 운명을 한몸에 지니신
아버지장군님 인민의 수령님
준엄한 전선길 안녕하심은
온 나라 가정의 행복입니다

미제를 쳐부신 영웅의 땅에
락원을 펼치실 아버지장군님
찬란한 조선의 미래를 위해
인민은 안녕을 축복합니다
■歌詞について

안녕을 축복합니다」はそのまま日本語に置き換えれば「安寧を祝福します」ですが、「安寧」も「祝福」も日本語と朝鮮語とでは微妙に意味が違うので、ここは日本語の手紙らしく「ご健勝を お祈り申し上げます」としてみました。そもそも歌詞の元ネタが手紙なので(後述)


■解説

歌詞は、金正日総書記が朝鮮戦争中の1952年、前線にいる父・金日成主席へ送った手紙がもとになっています。以下、『金正日略伝』から引用します。
 1952年8月中旬、正日少年は最高司令部の父のもとを離れて学習に打ち込んだ。そしてこの日々にも険しい前線への道を歩んでいる父の無事を念じてやまなかった。アメリカ帝国主義侵略軍の猛爆のニュースを聞くたびに、日夜前線と後方を駆けめぐる父の安否を気づかった。
 正日少年は父に手紙を書いた。
 「なつかしいお父さんへ。 お父さん、その後お変わりありませんか? 苛烈な祖国解放戦争でヤンキーを打ちのめすため、さぞご苦労 のことと思います。 ...
 そしてなによりも大事なお願いとしてお父さんに申し上げたいことは、お父さんは自分お一人のお体ではなく、全朝鮮人民の領袖だということです。
 ...お父さんがお体に気をつけ、空襲に注意し、いつもお体をいたわってくださることは全朝鮮人民の幸せであり、またぼくたちの幸せです。
 くれぐれもお体に気をつけてくださるよう遠くからお祈りいたします。
 父の万年長寿と無事を切々と祈る手紙を受け取った主席はたいそう喜び、最高司令部ではもちろん、危険な前線視察の途につくときにも、その手紙を肌身離さず持っていた。
 正日少年はその後、その日の手紙の内容で『祝福の歌』 という歌をつくった。
なお、この「祝福の歌」に先立ち、金正日総書記は「祖国のふところ」を作っています。

■動画

 
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