2013年2月10日日曜日

党細胞書記大会と合唱「インターナショナル」

牡丹峰楽団・朝鮮人民軍勲功国家合唱団の合同公演「母の声 (어머니의 목소리)が2月1日、平壌で行われた。これは1月28日・29日の両日にわたって開かれた朝鮮労働党第4回細胞書記大会の参加者のために催された公演だ。

牡丹峰楽団と功勲国家合唱団という豪華な取り合わせもすごいが、この公演に関してわたしが度肝を抜かれたのは、演目に革命歌「インターナショナル」の合唱があったという点。全3節のうち第1節しか歌われなかったが、まごうことなくあの「インターナショナル」である。朝鮮中央テレビで2月4日に放映された同公演の映像から当該部分を切り抜いた動画がこれ。



朝鮮における「インターナショナル」の扱いについては、党代表者会(2010年9月)の直後に少し書いた。この記事でも触れたように、「インターナショナル」はもっぱら儀礼曲と位置づけられているとみられる。今回のように公演の場で歌唱されるというのは極めて異例なことだ。

2010年の党代表者会の後も、金正日総書記の死去に関連し「インターナショナル」が演奏される機会は何度かあった。たとえば、2011年12月19日に総書記が死去が伝えられた際には、朝鮮中央テレビや平壌放送で毎時ごとに「パルチザン追悼歌」「金正日将軍の歌」「インターナショナル」の3曲が流れ続けた(20日夜から「パルチザン追悼歌」は「追悼曲」に変更)。また、同29日に金日成広場で挙行された中央追悼大会でも「インターナショナル」の吹奏があった。いずれも演奏のみで、歌唱はない。

しかし、ここのところ儀礼曲としての「インターナショナル」も使用される機会が減っているように感じていた。総書記の死去1周年を前にした2012年12月16日、金正恩第1書記らも出席する中央追悼大会が平壌で挙行されたが、閉会時に演奏されたのは「インターナショナル」ではなく「将軍様は太陽として永生なさる」だった。また、2010年の党代表者会では「インターナショナル」が演奏されたのに、このたびの党第4回細胞書記大会では「朝鮮労働党万歳」だった(2007年10月の第3回細胞書記大会でも「朝鮮労働党万歳」だったという情報があるが、未確認である)。

そんな矢先に突如、2月1日の合同公演で「インターナショナル」の合唱が披露されたのだ。しかも、公演が始まって国歌「愛国歌」が演奏された直後の1曲目にである。なぜだろうか?音楽公演の内容について決定権を有しているであろう当局(党宣伝扇動部?)の意図を知るすべなどないが、ある程度、推測することはできる。

演目に「インターナショナル」が選ばれた背景には、党第4回細胞書記大会のそのものの性質がありそうだ。同大会において金正恩第1書記は30分弱に及ぶ演説をした。第1書記はそのなかで、金日成主席・金正日総書記の路線を受け継ぎつつ人民のあいだに根を下ろした政治活動をするよう、党活動家たちにたいして訴えている。

演説中、特に気になったのは次の箇所である(朝鮮中央通信より引用)。

今日、わが党は革命の陣太鼓を高らかに打ち鳴らした1970年代の闘争精神を復活させて、世界に向かって進む新たな時代精神を創造することを求めています。

今日の時代精神の創造者は当然、革命の指揮メンバーであり前衛的闘士である幹部と党員の中から輩出しなければなりません。

すべての幹部と党員が金正日同志に従って労働党時代の一大全盛期を開いた1970年代の幹部と党員のように、自分の部門、自分の単位を先頭に立って導き、雪道を踏み分ける機関車となり、先兵となるなら、すべての持ち場で飛躍と革新が起こり、国の活動全般がスムーズに運ぶようになるでしょう。

このように金正恩第1書記は、1970年代の精神に回帰するよう党活動家たちに呼びかけているのだ。この事実はなかなか興味深い。

思い返せば、ここ数年来、朝鮮の指導部にとって労働党組織の立て直しは切迫した課題だった。というのも、金正日総書記がカリスマ的指導者として国家を率いた時代、党組織はあまり顧みられてこなかった。金正日総書記が何でも一人で判断を下すので、官僚機構としての党組織の役割が相対的に低下していたのである。党大会は1980年を最後に開かれていない。

しかも「苦難の行軍」を経て2000年代に入り先軍政治の時代が幕をあけると、軍が重視されるようになり、党が軽視される傾向に拍車がかかった。党の要職も高齢化が進み、死亡による空席も目立っていた。

ところが2008年、金正日総書記は脳梗塞で倒れたといわれている。そのあたりから、金正恩第1書記への後継体制を準備する過程の一環として、「先軍」の看板は維持しつつ、党組織を再び重視する方向へシフトしていった。まだ経験の浅い金正恩第1書記を支え、国を動かす官僚機構として党を再び活用せざるをえなかったのかもしれない。2010年の党代表者会では党の要職の大規模な補充・交代がなされた。

2011年12月に金正日総書記が死去し、金正恩第1書記の時代に入ると、その傾向はますます加速していったようだ。銀河水管弦楽団や牡丹峰楽団の公演で党を主題とした歌がしきりにクローズアップされるようになったことからも、そのことはうかがえる。

今回の党第4回細胞書記大会、そしてそれにあわせて行われた公演「母の声」も、この文脈のなかに位置づけることができるだろう。国を円滑に運営するためには、党の指導部の立て直しだけでなく、幹部の意思を人民に伝える末端党員組織の活性化が重要である。それゆえ、このタイミングで第4回細胞書記大会が開かれ、音楽公演も開いて大々的に盛り上げているのかもしれない。

さきほど書き出した公演「母の声」の演目一覧を見てみると、「20世紀の追憶」「あのころのようにわれらは生きているか」「首領様に従い千万里、わが党に従い千万里」など、明白に「あのころ」を意識させるかのような曲が並んでいる

そう考えると、公演「母の声」で「インターナショナル」が歌われた理由もわかるような気がする。金正恩第1書記も述べたように、「すべての幹部と党員が金正日同志に従って労働党時代の一大全盛期を開い」ていた時代へ回帰せよというのが、今回の公演を貫くテーマであるように思われる。

社会主義運動の歴史を体現する歌であり、朝鮮労働党を象徴する儀礼曲でありながら、近来は除け者にされがちだった「インターナショナル」。その「インターナショナル」を、合唱で、しかもあえて冒頭に持ってくるという挑戦的な選曲に出た。それによって、党組織が幹部から末端まで活発に機能していた往時に立ち返れという、強いメッセージを発しようとしたのではないか。そんな推測が成り立つ。

もちろん、これはあくまで推測の域を出ない。しかし、この選曲が極めて異例かつ意欲的なものであったことは間違いない。朝鮮の「音楽政治」の歴史に、またもや記念すべき1ページが刻まれた。
 
(^q^)