2012年5月22日火曜日

焚き火

焚き火」(ファン・ジニョン作曲、1991年)
焚き火 歌詞日本語訳
焚き火が燃える 火が燃える
雪のなか 風のなか 火が燃える
暖かい宿所では 昼の陽が恋しくなく
われらは羨むものがない
ララララ われらは青年
ララララ われらは建設者
ララララ 党の呼びかけに
ぼくらときみとは 運命をともに

焚き火が燃える 火が燃える
歌のなか 笑いのなか 火が燃える
ぼくの心が燃えるとき きみのも燃える
党を仰ぐぼくたちの心のように
ララララ われらは青年
ララララ われらは建設者
ララララ 党の呼びかけに
ぼくらときみとは 運命をともに

焚き火が燃える 火が燃える
追憶のなか 偉勲のなか 火が燃える
ぼくらがゆくところ どこにでも
焚き火が燃えているだろう
ララララ われらは青年
ララララ われらは建設者
ララララ 党の呼びかけに
ぼくらときみとは 運命をともに
우등불 타오르네 불 타오르네
눈속에 바람속에 불 타오르네
아늑한 숙소야 날 찾지 말아
우리들은 바라지 않네
랄랄랄라 우리는 청춘
랄랄랄라 우린 건설자
랄랄랄라 당의 부름에
너는 우리 길동무였네

우등불 타오르네 불 타오르네
노래속에 웃음속에 불 타오르네
내 심장 불 탈때 너도 불 탄다
당을 받은 우리 맘처럼
랄랄랄라 우리는 청춘
랄랄랄라 우린 건설자
랄랄랄라 당의 부름에
너는 우리 길동무였네

우등불 타오르네 불 타오르네
추억속에 위훈속에 불 타오르네
우리가 가는 곳 그 어데나
우등불은 불 타 있으리
랄랄랄라 우리는 청춘
랄랄랄라 우린 건설자
랄랄랄라 당의 부름에
너는 우리 길동무였네
訳してはみたけど、この訳はあんまり気に入らないなぁ。

■動画




2012年5月16日水曜日

思郷歌

前回からだいぶ時間が経ってしまいましたが、金日成主席生誕100周年記念特集の続きです。金日成主席にまつわる歌といえば、「金日成将軍の歌」と並んで外すことのできないのが不朽の古典的名作「思郷歌」でしょう。
思郷歌 歌詞日本語訳
ふるさとを たつ朝
わが母が
かどさきで 涙ぐみ
さあおゆきと
かけてくれた言葉
ああ 耳につく

わが家から ほど近くへ
少し出れば
ちいさな小川 さらさら流れ
幼い弟たちと
遊び回った様子
ああ 目に浮かぶ

大同江の流れ うるわしき
万景台の春
夢路にも忘れられぬ
懐かしき山河
光復のその日に
ああ 帰らん
내 고향을 떠나올 때
나의 어머니
문앞에서 눈물 흘리며
잘 다녀오라
하시던 말씀
아- 귀에 쟁쟁해

우리 집에서 멀지 않게
조금 나가면
작은 시내 돌돌 흐르고
어린 동생들
뛰노는 모양
아- 눈에 삼삼해

대동강물 아름다운
만경대의 봄
꿈결에도 잊을수 없네
그리운 산천
광복의 그날
아- 돌아 가리라
■ 動画





■ 解説

金日成主席は1912年4月15日に平壌・万景台で生まれ、わずか13歳のときに故郷を飛び出て革命の道に立った。主席が万景台の父母や幼い兄弟たち、そしてふるさとの美しい山河を懐かしんで口ずさんだと言われるの「思郷歌」である。

共和国において「思郷歌」は、金日成主席が抗日革命闘争のなかで自ら作った「不朽の古典的名作」として神聖化されている。たとえば、2006年4月18日付の朝鮮中央通信記事「金日成主席と《思郷歌》」には次のように記されている。
偉大な金日成主席が抗日革命闘争期に創作なさった「思郷歌」には、離れてきた故郷の山河と父母兄弟たちに対する深い追憶と、祖国解放の未来を確信する抗日革命闘士らの崇高な思想・感情が込められている。主席は生涯、この歌を最も愛され、熱烈に歌われた。「思郷歌」は主席の革命歌であり、主席はこの歌で戦士たちに愛国心と革命の哲理を教えられた。(……)金日成主席の偉大な革命史とともに「思郷歌」は永遠に朝鮮人民を闘争と偉勲へ導き、祖国の空高く鳴りわたるだろう。
そもそも、共和国が政権の正統性を支える拠り所としているのが「革命伝統」、すなわち金日成主席を中心とした革命の歴史である。そんななかで、いわば金日成主席を主人公とする一大叙事詩の主題歌として、共和国の歴史解釈と密接に結びついているのが「思郷歌」なのだ。テレビ、ラジオ、映画などでは、金日成主席の革命事績にまつわる場面で「思郷歌」が流されることが少なくない。チョソンの声放送で放送される主席の回顧録『世紀とともに』の朗読番組のテーマ曲も「思郷歌」だし、「革命の揺籃地」として公開されている金日成主席の生家でスピーカーから流されているのも「思郷歌」だ。

ところで、すでに説明したように、共和国において「思郷歌」は金日成主席が自ら作った歌とされている。しかし事実はそうではない。「思郷歌」は日帝時代につくられた歌謡曲「わが故郷を離れて」をもとにしており、金日成主席のオリジナルというわけでは必ずしもないのである。「わが故郷を離れて」はテナーの安基永が歌い、1925年11月に収録された。



あくまで推測だが、当時、朝鮮で流行していた「わが故郷を離れて」に金日成主席が自らの感情を重ね合わせつつ、故郷である万景台の情景を描いた歌詞を付け加えて歌っていたものが、解放後の歴史解釈の過程でいつの間にか金日成主席自ら作ったということに話がすり替わっていた——これが「思郷歌」の真相ではないだろうか。

しかし、「思郷歌」を金日成主席自ら創作した歌であるとする共和国の主張が事実でないからといって、朝鮮音楽全体におけるこの歌の特別な地位が揺らぐとは思われない。むしろこういった事実にこそ、金日成主席を人間離れした英雄のごとく描きたがる共和国の正統的な歴史解釈からは漏れてしまった、金日成主席の抗日革命活動の人間味あるリアルな側面が見て取れると私には思える。


▲「農民のなかで政治活動を行う金日成将軍」(『朝鮮革命博物館 上巻』より)

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2009/04/25 初投稿(旧ブログ)
2012/05/16 大幅に改訂して再投稿
 
(^q^)