普天堡電子楽団において書かれた歌「うれしいです」も、非常によくできた歌です。作曲家が歌「うれしいです」にニルリリ曲調を用いたことで民謡曲調が込められ、歌がとても味わい深くなりました。作曲家リ・ジョンオ(리종오)が2016年11月8日に死去した。先月は、リ・ジョンオを追悼して彼の作品である「その懐を忘れられない」を取りあげ、彼の経歴にも触れた。今回は、リ・ジョンオの代表作のひとつである「パンガプスムニダ」こと「うれしいです」について書いてみたい。
金正日
うれしいです
반갑습니다 | ||
1991年創作, リ・ジョンオ(리종오)作詞, リ・ジョンオ(리종오)作曲 | ||
|
■解説
1991年、リ・ジョンオの作詞・作曲で創作された作品である。リ・ジョンオは当時、普天堡電子楽団の専属作曲家兼指揮者であり、同楽団の副団長もつとめていた。功労俳優リ・ジョンスクが独唱し、普天堡電子楽団第29集などいくつかのCDに収録されている。「うれしいです」を「口笛」や「わが国がいちばん」などと並ぶリ・ジョンオの代表作と呼んだとしても、違和感はないのではないだろうか。
「うれしいです (반갑습니다)」は、いかなる背景で創作された歌なのか。それをたどるために、「その懐を忘れられない」のときと同じく、芸術公演「追憶の歌」から話を始めたい。
チョン・ヘヨンが「その懐を忘れられない」を絶唱し、会場がその余韻に包まれたのもつかの間。軽快なドラム・イントロが始まり、空気は一変した。そして壇上にはリ・ジョンスクが登場。この「うれしいです」を歌うのである。
余談だが、このドラム・イントロは普天堡電子楽団第29集などに収録されている「うれしいです」のオリジナル・バージョンには存在しない。「その懐を忘れられない」によってしんみりとした公演の雰囲気を瞬時に切り替えるべく、付け加えられた演出なのではないだろうか。
芸術公演「追憶の歌」で「うれしいです」の前奏が流れ始めるとき、背景の画面には「日本の地をゆるがした普天堡電子楽団 (일본땅을 뒤흔든 보천보천자악단)」の文字が表示される。同楽団の日本公演(1991年9月〜10月)を指したものだ。では、「うれしいです」と同楽団の日本公演に、いったいどんな関係があるのだろうか。
実は、「うれしいです」は、金正日総書記が普天堡電子楽団日本公演のため、同楽団に創作させた作品と位置づけられている。
『労働新聞』2015年2月23日付(5面)の記事によれば、「祖国のある芸術団」が日本公演の準備をしていたとき、視察に訪れた金正日総書記が「在日同胞たちの前で公演するときに、最初の曲目で歌うあいさつの歌をひとつ、立派に作らなければならない」と鶴の一声を発した。その後、総書記は歌詞やメロディについて自ら具体的な指導を行い、名曲「うれしいです」が誕生したというのである。
同記事には「普天堡電子楽団」という楽団名は明記されておらず、「祖国のある芸術団」としか書かれていない。しかし、「うれしいです」は普天堡電子楽団において創作された作品であることから、この「祖国のある芸術団」とは普天堡電子楽団のことであり、その日本公演とは、1991年の普天堡電子楽団日本公演を指していることは間違いない。
「うれしいです」の完成後、金正日総書記が1991年8月14日にこの歌を評して述べた言葉が、この記事の冒頭に引用した一節だ(『조선노래대전집』p.166)。総書記は、作曲者リ・ジョンオが「うれしいです」に民謡風の曲調を取り入れたことで「歌がとても味わい深くな」ったと評価している。
リ・ジョンオ副団長を含む普天堡電子楽団一行は1991年9月13日正午過ぎ、朝鮮民航(現・高麗航空)のイリューシン62型機で成田空港に到着(『朝日新聞』1991年09月14日付第1社会面)。同9月17・18両日に日本青年館(東京・千駄ヶ谷)で行った3回の公演を皮切りに、仙台、姫路、神戸、広島、小倉、大阪、そして京都の8都市をまわり、公開のものだけで合計19回の公演をこなしている。また、同10月15日夜に京都グランドホテル(現・リーガロイヤルホテル京都)で行われた「第3回京都日朝友好親善の集い」のディナーショーに出演するなど(『朝日新聞』1991年10月16日京都地域面)、関係者限定の公演も行ったたようである。
普天堡電子楽団日本公演の公式パンフレットにおいて、「うれしいです」には「相逢うよろこび」という邦題が付されている。同パンフレットに記されている「相逢うよろこび」の説明は次のとおりだ。
『반갑습니다』『相逢うよろこび』では、「うれしいです」は、実際の公演において金正日総書記の意図通り「最初の曲目」に用いられたのだろうか。総聯映画製作所が企画・制作した普天堡電子楽団日本公演のVHSおよびDVD(1991年9月17日の日本青年館での公演を収録したもの)があるが、ここに「うれしいです」は含まれていない。冒頭の曲は団員紹介を兼ねた「幸福あふれよ、わが祖国に (행복 넘쳐라 나의 족국이여)」であり、それにつづく実質的な演目1曲目は「アリラン (아리랑)」である。さらに、その後の曲目にも「うれしいです」は登場しない。
異国の地で同胞たちと会ったとき、急に胸が熱くなり、涙がこぼれるのはなぜでしょうか。
それは同じ血筋をひくはらからだけが感じとる民族の心がゆきかうからであり、母なる祖国のふところを熱く思い出すからに違いありません。
その民族的感情を胸深く伝える歌『相逢うよろこび』(人民芸術家リ・ジョンオ作詞・作曲)をメゾ・ソプラノ歌手リ・ギョンスクが熱い心でうたいます。
また、1992年に光明音楽社(광명음악사)より発売された普天堡電子楽団日本公演のCDアルバム(普天堡電子楽団31集および32集)にも、「うれしいです」は収録されていない。
しかし、ネット上のいくつかの動画サイトにアップロードされている東京朝鮮文化会館(東京・十条)での公演映像(出所不明)を見ると、アンコールの1曲目で「うれしいです」が披露されているのがわかる。上述の東京青年館バージョンにはアンコール部分が存在しない(映像からカットされているのか、実際にアンコールがなかったのかは不明)。
金正日総書記が「うれしいです」を公演1曲目の「あいさつの歌」として創作するよう指示したという逸話を前提にすれば、普天堡電子楽団日本公演における「うれしいです」は、何らかの理由で総書記が当初意図した開幕1曲目からアンコール1曲目へと変更されたことになる。
このように、「うれしいです」はたしかに普天堡電子楽団日本公演において披露された。ただし、それは当初意図された演目1曲目の「あいさつの歌」としてではなかったのである。しかも、その後の長きにわたる日朝間の没交渉のせいもあってか、「うれしいです」が普天堡電子楽団日本公演のために創作された作品であったことは、あまり知られてこなかった。
この歌を有名にしたのは、むしろ、韓国の金大中政権時代に行われた一連の南北交流事業だろう。もともと普天堡電子楽団日本公演における在日同胞への「あいさつの歌」として創作されたこの歌が、この時期、南の同胞への「あいさつの歌」として再解釈され使用されたのである。
これをきっかけとして、「うれしいです」は韓国でも一定の知名度を得て、上掲の動画のように韓国の歌手によって歌われる例も出た。また、この時期、釜山で開かれた2002年アジア競技大会に派遣された北朝鮮の女性応援団(いわゆる「美女軍団」)は日本のテレビにも盛んに取りあげられ、彼女たちが歌う「うれしいです」がお茶の間に流れる結果となった。
いまや「うれしいです」は、当初の創作意図を離れ、使用される場面の幅はいっそう多様化している。いわゆる「北レス」(北朝鮮の企業が諸外国で経営するレストラン)の歌のショーで女性接待員が歌う歌の定番としても根付いた。節操のない使われ方だと顔をしかめる人もいるかもしれない。
だが、ここまでこの歌が広く普及し、さまざまな場面で使用されるに至ったのは、リ・ジョンオが創作したこの作品が、朝鮮民族すべての、そして世界すべての人びとの琴線に触れる名曲であるからにほかならない。
====================
2013/05/06 公開
解説を新たに作成するなど大幅に加筆・修正し、リ・ジョンオ追悼企画として掲載