2014年12月15日月曜日

帰国同胞歓迎曲 (귀곡동포환영곡)

帰国事業についての歌。作詞・作曲はあの「愛国歌」の同じコンビです。
帰国同胞歓迎曲
귀곡동포환영곡
1959年創作, 朴世永作詞, 金元均作曲
夢路にも忘れられなかった 在日同胞よ
つらい異国暮らしは はや幾とせか
共和国公民となった 栄誉を抱き
燃えるように いとしい 母なる祖国
社会主義の楽園の 広き懐に
あなたたちを暖かく 迎えるのだ

早く来たれ 同胞たち 兄弟姉妹よ
差別も餓えも 過去のものだ
日が昇る東海も われらの心のごとく
帰国船のゆく道に 花を振りまく
社会主義の楽園の 広き懐に
あなたたちを暖かく 迎えるのだ

希望のままに 花と咲け 在日同胞よ
幸福の実の 分け前を 早くもらうのだ
党が築いた地上の楽園 手招いている
輝かしい世の中で 翼を広げよう
社会主義の楽園の 広き懐に
あなたたちを暖かく 迎えるのだ
오매에도 못잊던 재일동포여
쓰라린 이국살이 몇해였던가
공화국의 공민된 영예를 안고
불타게 그리던 어머니조국
사회주의락원은 넓은 품으로
그대들을 따뜻하게 맞아들인다

어서 오라 동포들 형제자매여
천대와 굶주림도 지난 일이다
해 돋는 동해도 우리 맘처럼
귀국선 오는 길에 꽃을 뿌린다
사회주의락원은 넓은 품으로
그대들을 따뜻하게 맞아들인다

희망대로 꽃 피라 재일동포여
행복의 열매들을 어서 와 논자
당이 펼친 지상락원 손 저 부르니
눈 부신 세상에서 나래를 퍼자
사회주의락원은 넓은 품으로
그대들을 따뜻하게 맞아들인다
■動画

2014年11月25日火曜日

魅惑 (매혹)

魅惑
매혹
1993年創作, 전동우作詞, 황진영作曲
これほど 素朴な方を
わたしは いまだ知らない
これほど 純潔な方を
わたしは いまだ知らない
お目にかかれば その瞬間
魂を引き寄せられて
人生を委ね
世界を委ねるのは
ああ
その方は 金正日同志

これほど 熱い方が
世の中に いらっしゃるだろうか
これほど 高潔な方が
世の中に いらっしゃるだろうか
お目にかかれば その瞬間
魂を引き寄せられて
心を合わせ
運命をともにするのは
ああ
その方は 金正日同志

限りなく 親しみ深い
われらの父
万民が仰ぎ慕う
われらの父
お目にかかれば その瞬間
魂を引き寄せられて
運命も 未来も
その懐に委ねるのは
ああ
その方は 金正日同志
그처럼 소박하신분
내 아직 못보았네
그처럼 순결하신분
내 아직 못보았네
만나면 순간에
온넋이 끌리여
한생을 맡기고
온세상을 맡기는
아-...
그이는 김정일동지

그처럼 뜨거우신분 

세상에 또 계시랴
그처럼 고결하신분 

세상에 또 계시랴
만나면 순간에 

온넋이 끌리여
심장을 합치고 

운명을 합치는
아-... 

그이는 김정일동지

한없이 친근하신 

우리의 아버지
만민이 우러르는 

우리의 어버이
만나면 순간에 

온넋이 끌리여
운명도 미래도 

그품에 맡기는
아-... 

그이는 김정일동지
■動画

2014年11月9日日曜日

烽火山のふもと (봉화산기슭)

烽火山のふもと
봉화산기슭
1967年創作, 안창만作詞, 리영숙作曲
革命の志 伝える 烽火山のふもとを
訪ねくる 人々は 絶え間ない
金亨稷先生の 熱い息づかいなのか
メクチョンの渡しの 波が 胸に打ち寄せる

たける吹雪にも 負けることのなかった
青き松よ ここにあれ
康盤石お母様の 愛がみなぎる
清き泉よ ここに湧け

烽火山のふもとの あの日の明新学校
いまや 全国の 学び舎となったのだ
革命に捧げた 光復の気高き志は
首領様の陽射しのもと 燦然と花開いたのだ
혁명의 뜻이 어린 봉화산기슭에
찾아 오는 사람들 그칠새 없어라
김형직선생님의 뜨거운 숨결인가
맥전나루 물결이 가슴에 흘러드네

사나운 눈보라도 꺾을수 없었던
푸르른 소나무 여기에 있어라
강반석어머님의 사랑이 가득 고인
정가로운 샘물이 여기에 솟아라

봉화산기슭의 그 옛날 명신학교
오늘은 온 나라의 배움터 되였네
혁명에 바치신 광복의 높은 뜻은
수령님의 해빛아래 찬란히 꽃폈네
■音源



====================
2015/03/25 (*´艸`)

2014年11月7日金曜日

故郷の家の白樺 (고향집의 봇나무)

故郷の家の白樺
고향집의 봇나무
1992年創作, 김경기作詞, 박진국作曲
カラ松も トド松も 青いのに
白樺よ どうしてお前は白いのか
2月の生家の おしろいと
純白の雪色を まとったのか
ああ 白い白樺よ
純白の雪色を まとったのか

青い葉が揺れて そよめく音が
吹雪のごとく 聞こえるように
2月の生家を 忘れるなと
あの日の白い霜 まとったのか
ああ 白い白樺よ
あの日の白い霜 まとったのか

冬に見ても 白いその姿
夏に見ても 変わることはない
春夏秋冬 2月に 生きたくて
とわに変わらぬ 白い衣 まとったのか
ああ 白い白樺よ
とわに変わらぬ 白い衣 まとったのか
이깔도 분비도 푸른 빛인데
봇나무 너홀로 하얀 빛인가
이월의 고향집 단장하자고
티없는 흰눈빛 고이 담았나
아-... 하얀 봇나무
티없는 흰눈빛 고이 담았나

하얀잎 흔드는 설레임소리
눈보라소리로 들려 오는듯
이월의 고향집 잊지 말라고
그날의 흰서리 고이 지녔나
아-... 하얀 봇나무
그날의 흰서리 고이 지녔나

겨울에 보아도 하얀 그 모습
여름에 보아도 변함이 없네
사시절 이월에 살고 싶어서
영원히 한모습 흰옷 입었네
아-... 하얀 봇나무
영원히 한모습 흰옷 입었네
■動画

2014年9月9日火曜日

愛国歌 (애국가)

愛国歌
애국가
1947年創作, 朴世永作詞, 金元均作曲
朝は輝け この山河
金銀も資源も 満ちあふれ
三千里 うるわしき わが祖国
半万年の 古き歴史に
燦爛たる文化もて 育まれた
秀でた人民の この栄光
身も心も捧げ この朝鮮
とわに守らん

白頭の気性 あまさず抱き
勤労の精神は 宿り
真理のもと結ぶ 揺るがぬ意志
全世界に 先駆け進まん
湧き出ずる力は 怒濤も退け
人民の意志もて 建つる国
限りなく富強な この朝鮮
とわに輝かさん

湧き出ずる力は 怒濤も退け
人民の意志もて 建つる国
限りなく富強なる この朝鮮
とわに輝かさん
아침은 빛나라 이 강산
은금에 자원도 가득한
삼천리 아름다운 내 조국
반만년 오랜 력사에
찬란한 문화로 자라난
슬기론 인민의 이 영광
몸과 맘 다 바쳐 이 조선
길이 받드세

백두산기상을 다 안고
근로의 정신은 깃들어
진리로 뭉쳐 진 억센 뜻
온 세계 앞서 나가리
솟는 힘 노도도 내밀어
인민의 뜻으로 선 나라
한없이 부강하는 이 조선
길이 빛내세

솟는 힘 노도도 내밀어
인민의 뜻으로 선 나라
한없이 부강하는 이 조선
길이 빛내세


■音源




■解説

朝鮮民主主義人民共和国の国歌。1947年に「愛国歌」として選定され、1948年9月9日の朝鮮民主主人民共和国建国にともなって同国の国歌になった。ただし、この「愛国歌」が国歌であると憲法に明文化されたのは、1992年のようである。

金日成は1946年秋に「愛国歌」の創作を提案したとされる。その後、1947年、金日成は談話「愛国歌と人民軍行進曲を創作することについて」を発表(「革命音楽館」様がその抄訳を掲載している)。これを受け、ソ連軍政下の北朝鮮当局は愛国歌を制定すべく、作品を公募した。このとき最終審査に残った2曲は、金元均(キム・ウォンギュン)の作品と、そして李冕相の作品だった。金日成の臨席のもと最終試聴会が執り行われ、金日成は金元均のほうに軍配を上げたのである。かくして、金元均の作品が愛国歌として選定された。一方、このとき選ばれなかった李冕相の作品は「輝く祖国 (빛나는 조국)」と名付けられ、こちらも広く使用されている。

「愛国歌」の歌詞は、文字通り純粋な愛国歌のそれである。金日成の名は登場しないし、「人民」を除けば社会主義を連想させる語彙すら用いられていない。これは、同時期に制定されたソビエト連邦国歌(1944年)やモンゴル人民共和国国歌(1950年)と対照的である(当時、ソ連の影響下にあったという点ではモンゴルも北朝鮮も同じである)。

なぜ「愛国歌」はこのような歌詞になったのか。その理由はわからない。しかし、「愛国歌」創作・制定の背景として、以下の2つの事実は特筆に値するだろう。

  1. 当時のソ連軍占領当局が、マルクス主義的な色彩を前面に出さず、ナショナリズムを積極的に利用する政策をとったこと。解放直後、朝鮮における共産主義勢力の基盤はきわめて脆弱で、急激な社会主義化は民衆の反感を買う可能性が高かった。そのため占領当局は、土地改革や労働法令制定など進歩的な政策を実施したものの、これらを「民族の英雄である金日成将軍がもたらしてくれたもの」として宣伝した。
     
  2. 金日成将軍の歌」がすでに存在していたこと。1で述べた政策の一環として、1946年夏に「金日成将軍の歌」が制作・発表され、1947年の時点ではすでに広く民衆に普及していたとみられる。

北朝鮮においては現在、「金日成将軍の歌」と「金正日将軍の歌」の2曲が「永生不滅の革命頌歌」と称され、「愛国歌」を含むほかの歌曲とは違う特別な扱いを受けている。とはいえ、国歌である「愛国歌」が二番手、三番手の地位に甘んじるという特殊な状況は、いまに始まったことではない。「愛国歌」が創作・制定された1947の時点で、そうなることを宿命づけられていたと言える。

2014年9月2日火曜日

赤旗号 わが機関車は走る (《붉은기》호 나의 차는 달린다)

芸術映画「忠誠の汽笛 (충성의 기적소리)」より。
赤旗号 わが機関車は走る
《붉은기》호 나의 차는 달린다
1970年創作, 作詞:集団, 作曲:김린욱
白い雲の漂う 山並みを越え
小川が清らかに流れる 渓谷を過ぎ
忠誠の汽笛を 高らかに鳴らして
愛するわが機関車は 走ってゆく
革新の汽笛を 高らかに鳴らし
赤旗号 わが機関車は
走ってゆく

千里馬 はばたく 祖国の山河に
革新の力強い波が 打ち寄せる
工場と建設現場へ向け 山野を越えて
赤旗号 わが機関車は
走ってゆく
革新の汽笛を 高らかに鳴らし
赤旗号 わが機関車は
走ってゆく
흰구름 흘러가는 산발을 넘어서
시내물 맑게 흐르는 계곡을 지나
충성의 기적소리 높이 울리며
사랑하는 나의 차는 달리여 간다
혁신의 기적소리 높이 울리며
《붉은기》호 나의 차는
달리여 간다

천리마 나래치는 조국강산에
혁신의 세찬 파도가 굽이친다네
공장과 건설장 향해 산야를 건너
《붉은기》호 나의 차는
달리여 간다
혁신의 기적소리 높이 울리며
《붉은기》호 나의 차는
달리여 간다
「삼일포2.0」所収の楽譜ではこのような歌詞になっていますが、下の録音を聞くと2番の1回目の「《붉은기》호 나의 차는」は「사랑하는 나의 차는」と聞こえます。

■動画



都合により音質を落としてあります。

2014年6月10日火曜日

労働党はわれらの導き手 (로동당은 우리의 향도자)

労働党はわれらの導き手
로동당은 우리의 향도자
1957年創作, 정서촌作詞, 김길학作曲
栄光の旗を 高くなびかせ
勝利へと導く 朝鮮労働党
金日成元帥の 領導を仰ぎ
この地に新時代 開いたのだ
労働党は われらの灯台
労働党は われらの導き手
共産主義の 明日へ向けて
力強く進む

闘争の旗を 高くなびかせ
革命伝統を受けつぐ 朝鮮労働党
金日成元帥の 領導を仰ぎ
この地に楽園 開いたのだ
労働党は われらの灯台
労働党は われらの導き手
共産主義の 明日へ向けて
力強く進む

革命の旗を 高くなびかせ
幸福へと導く 朝鮮労働党
祖国統一の未来 照らして
世界の革命を 導くのだ
労働党は われらの灯台
労働党は われらの導き手
共産主義の 明日へ向けて
力強く進む
영광의 기치를 높이 날리며
승리에로 인도하는 조선로동당
김일성원수님의 령도를 받아
이 땅에 새 시대 열어놓았네
로동당은 우리의 등대
로동당은 우리의 향도자
공산주의 새 날을 향하여
힘차게 나간다

투쟁의 기치를 높이 날리며
혁명전통 이어받은 조선로동당
김일성원수님의 령도를 받아
이 땅에 락원을 펼쳐주었네
로동당은 우리의 등대
로동당은 우리의 향도자
공산주의 새 날을 향하여
힘차게 나간다

혁명의 기치를 높이 날리며
행복에로 인도하는 조선로동당
조국통일 앞날을 밝히여 주고
세계의 혁명을 인도해가네
로동당은 우리의 등대
로동당은 우리의 향도자
공산주의 새 날을 향하여
힘차게 나간다
■動画

2014年5月18日日曜日

【報道】ファン・ジニョンら作曲家3名、労力英雄称号を受称

共和国最高人民会議常任委員会は4月12日、政令を制定し、ファン・ジニョンウ・ジョンヒアン・ジョンホの3名の作曲家に労力英雄称号を授与した。牡丹峰楽団での創作活動を評価しての授与とみられる。

左からファン・ジニョン、ウ・ジョンヒ、アン・ジョンホ
政令の全文(和訳)は次のとおり。
朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会政令
第7号 チュチェ103(2014年)4月12日

ファン・ジニョン、ウ・ジョンヒ、アン・ジョンホ同志に
朝鮮民主主義人民共和国労力英雄称号を授与することについて

朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会は、わが党の主体的な音楽芸術思想で固く武装し、革命的・先進的な創作気風と情熱を高く発揮して、偉大な金正恩時代の精神が脈打つ思想芸術性が強く、人民たちの現実的な感情を込めた名曲を数多く創作することによって千万軍民を社会主義守護戦と強盛国家建設の終局的勝利のための闘争に力強く鼓舞・激励することに大きく寄与した、ファン・ジニョン、ウ・ジョンヒ、アン・ジョンホ同志に、民族最大の名節である太陽節を控え、朝鮮民主主義人民共和国労力英雄称号ならびに金メダル(鎌と鎚)および国旗勲章第1級を授ける。

朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会

平壌
「労力英雄」は「共和国英雄」に次いで権威のある称号。これまで共和国で英雄称号が授与された作曲家は、わたしが確認している限り次の3人である(いずれも労力英雄)。

  • キム・ウォンギュン(金元均)…「金日成将軍の歌」「愛国歌」の作曲者
  • ソル・ミョンスン …「金正日将軍の歌」の作曲者
  • リ・ジョンオ …普天堡電子楽団で作曲活動、同楽団副団長(団長説もあり)

今回、新たに3人が受称したので、すでに亡くなった人も含めて合計6人ということになる。そして、今回の3人はいずれも過去に普天堡電子楽団に所属していた作曲家である。つまり、「永生不滅の革命頌歌」とされる2曲の作曲者2人を除く4人がいずれも普天堡電子楽団出身者ということになる。

もちろん、称号が授与されるか否かは対象者の実力や実績だけによって決まるものではない。そのときどきの政策や政治情勢の影響も少なくないだろう。また、全体的に、朝鮮では昔より称号や勲章の授与基準が緩くなっていると言われる。朝鮮音楽の黎明期に大きく貢献した李冕相や金玉成も、英雄称号は受称していない

それゆえ、ファン・ジニョンだけならともかく、ウ・ジョンヒとアン・ジョンホにまで同時に英雄称号が授与されたことについては、「称号の安売りではないか」という指摘もできる。しかも、ファン・ジニョンとアン・ジョンホは「人民芸術家」の称号を持つが、ウ・ジョンヒは「功勲芸術家」。つまり、ウ・ジョンヒは「人民芸術家」称号を授与される前に「労力英雄」称号を受称したわけだ。

これらのことを勘案すると、3人にたいする今回の称号授与は、普天堡時代やそれ以前から現在に至るまでの実績全体が評価されたというより、最近の牡丹峰楽団への貢献に焦点を絞った授与なのではないか、という推測が成り立つ。つまり、金正恩時代における音楽芸術の模範として牡丹峰楽団を持ち上げるキャンペーンの一環としての授与なのだろう。

とはいえ、朝鮮の政権が(政策への貢献も含めて)最も高く評価した作曲家がこの6人であることは、形式的には間違いない。そして、すでに述べたように、「永生不滅の革命頌歌」の2人を除く4人が普天堡電子楽団出身者。今回の3人が英雄称号を授与された直接のきっかけは普天堡ではなく牡丹峰楽団での活動であるといっても、牡丹峰楽団が普天堡を継承する存在であることはすでに明らかにされている。そう考えると、普天堡電子楽団が朝鮮の「音楽政治」史に残した影響が、いかに決定的なものであったかということを再確認されられる

(ところで、先日の第9次全国芸術人大会では牡丹峰楽団に関連して注目すべき発言がいろいろあったようですね。ただまだ情報がまとまっていないので、とりあえず保留!)

2014年4月16日水曜日

タンスメこと「一気に (단숨에)」

だいぶイマサラ感がありますが、タンスメを訳しました。
一気に
단숨에
2009年創作, 윤두근作詞, 황진영作曲
訓練場に立った兵士は
「一気に」という言葉を愛す
一歩ごと その言葉を響かせて
燃えたぎる武勇を育む
山を越えるのも 一気に
川を渡るのも 一気に
稲妻のごとく炎がピカッと 一気に
一気に 一気に 一気に

あの空を翔る隼たちも
青い波を乗りこえる海兵も
「一気に」 その言葉を響かせ
滅敵の闘志を育む
打撃目標も 一気に
敵艦突入も 一気に
稲妻のごとく炎がピカッと 一気に
一気に 一気に 一気に

白頭の霊将に倣う兵士たち
その気性を翼として広げる
来たるべき最終決戦も
われらは同じく 一気にやるぞ
偉勲を立てるのも 一気に
勝利を見せつけるのも 一気に
稲妻のごとく炎がピカッと 一気に
一気に 一気に 一気に
훈련장에 나선 병사는
단숨에란 말을 사랑해
걸음마다 그 말 울리며
펄펄나는 용맹 키우네
산을 넘어도 단숨에
강을 건너도 단숨에
번개같이 불이 번쩍 단숨에
단숨에 단숨에 단숨에

저 하늘을 나는 매들도
푸른 파도 헤치는 해병도
단숨에란 이 말 울리며
멸적의 투지 키우네
타격목표도 단숨에
적함돌입도 단숨에
번개같이 불이 번쩍 단숨에
단숨에 단숨에 단숨에

백두령장 닮은 병사들
그 기상을 나래로 폈네
이제 남은 최후결전도
우리 또한 단숨에 하리
위훈 세워도 단숨에
승리 떨쳐도 단숨에
번개같이 불이 번쩍 단숨에
단숨에 단숨에 단숨에

■歌詞について

펄펄나는 - 朝鮮音楽だと《펄펄》は「ひらひら(旗などがなびく様子)」の意味で用いる場合が多いですが、それ以外にも「ぐらぐらと(湯が煮えたぎる様子)」や「かっかと(熱をもっている様子)」の意味もあるそうです。


■解説
 音楽において主体性を確立するからといって、外国のものを頭から無視し、排斥してはならない。わが国の音楽を早く発展させるためには、外国の音楽からもすぐれたものは大いに取り入れなければならない。
金正日
もともと普天堡電子楽団が2009年に発表した曲。しかし、「タンスメ!」の掛け声とともにこの曲の名を知らしめたのは牡丹峰楽団です。ストリングカルテットを中心に据えた牡丹峰楽団の「タンスメ」は、同楽団の代表曲であるとともに、同楽団の方向性を鮮明にした曲でもあります。

ところで、牡丹峰の「タンスメ」はbondの "Viva!" との類似性が指摘されています。bondは2000年にイギリスで結成されたバンドで、女性4人によるストリングカルテットです(ただ、牡丹峰と違ってbondはアコースティックな弦楽器で演奏することもあるようです)。リンク先のライブ映像を見る限り、「タンスメ」が、そして牡丹峰楽団のコンセプト自体がbondから大きな示唆を受けていることは間違いないように思います。ざっくり言うと、普天堡とbondを足して2で割ったのが牡丹峰って感じですかね。ただ、これをパクりだとかなんとか言うつもりは毛頭なく、むしろこんなものまでチェックしてる朝鮮の音楽関係者はすごいなーっていう話です。

■動画



2014年4月7日月曜日

白頭の行軍路、継いでゆかん (백두의 행군길 이어가리라)

金正日総書記が金日成総合大学在学中の1962年8月29日、オウンドン軍事野営で作った詩をもとにした歌です。
白頭の行軍路、継いでゆかん
백두의 행군길 이어가리라
不朽の古典的名作(설명순作曲)
銃剣きらめかせ 山頂に登れば
滅敵の強き力 全身にみなぎる
未来を花咲かせる 血たぎる胸に
駆けゆく未来が 波のごとく寄せる

千万の軍隊 導き 険山峻嶺 越えゆき
白頭の行軍を まっすぐ継いでゆかん
侵略者 米帝を この地から叩き出し
統一された祖国を この胸で抱こう

三千里の山河を 楽園として花咲かせ
朝鮮の栄光を 全世界に見せつけん
どんな敵も 手出しできないよう
わが祖国 永遠に 守ってゆかん
총창을 비껴들고 산정에 오르니
멸적의 장수힘 온몸에 넘친다
미래를 꽃피울 피끓는 가슴에
달려갈 앞길이 파도쳐 밀려온다

천만대군 이끌고 험산준령 넘고넘어
백두의 행군길을 곧바로 이어가리
침략자 미제를 이 땅에서 내몰고
통일된 조국을 한품에 안으리라

3천리강산을 락원으로 꽃피워
조선의 영광을 온 누리에 떨치리
그 어떤 원쑤도 다치지 못하게
내 조국 영원히 지켜가리라
■動画

2014年4月4日金曜日

われらの首領様 (우리 수령님)

われらの首領様
우리 수령님
1989年創作, 리종률作詞, 엄하진作曲
朝に 雨が降ろうと
人民を 訪ねられ
夜深く 雪が降ろうと
国じゅうに手を尽くされる
首領様 もっとよい日に
来られれば いいものを
来た道を また来られ
愛ばかり施してくださる

来られれば われらの手を
いとしげに 握ってくれ
素朴な われらの話も
大事そうに 聞いてくれる
父なる その愛より
羨むものなど ないのに
くださる愛 足りないかのように
愛の道を 歩み続ける

父なる その心の内には
いつでも 人民がいて
人民の ための道に
喜びを求めていらっしゃる
首領様の 一生の労苦
息をつけば よいものを
共産主義の その日まで
われらを 導いてくださる
아침에 비내려도
인민을 찾으시고
깊은밤 눈내려도
온나라 돌보시네
수령님 좋은날에
오시여도 되시련만
오신길 또 오시여
사랑만 베푸시네

오시면 우리손을
정답게 잡으시고
소박한 우리말도
귀중히 들으시네
어버이 그 사랑에
부러운것 없건만은
주신 사랑 적으신듯
사랑의 길 이으시네

어버이 마음속엔
언제나 인민 있고
인민을 위한길에
기쁨을 찾으시네
수령님 평생로고
푸셨으면 좋으련만
공산주의 그날까지
우릴 모두 이끄시네
■動画

2014年4月3日木曜日

われらの金正日同志 (우리의 김정일동지)

わたしが朝鮮音楽を好きになったきっかけの曲。もともと普天堡の曲ですが、功勲版のほうが気に入ってます。
われらの金正日同志
우리의 김정일동지
1994年創作, 류동호作詞, 황진영作曲
幸福な わが国の ひとつ屋根のもと
睦まじい 大家庭を築いてくれた
人民を肉親のごとく 育ててくれた方
その方は われらの金正日同志

いつでも聡明な 人民だとおっしゃり
素朴な彼らの思いも 政策に込める
人民を 先生と 呼んでくださる方
その先生の師匠は 金正日同志

人民を熱烈に 愛してくださり
一生を人民のため 尽くしてくれる
人民を 天のごとく 信じてくれ方
その天の太陽は 金正日同志
행복한 내 나라 한지붕아래
화목한 대가정을 꾸려주셨네
인민을 친형제로 키워주신분
그이는 우리의 김정일동지

언제나 슬기론 인민이라고
소박한 그 생각도 정책에 담네
인민을 선생으로 부르시는분
그 선생의 스승은 김정일동지

인민을 열렬히 사랑하시며
한평생 인민위해 복무하시네
인민을 하늘처럼 믿으시는분
그 하늘의 태양은 김정일동지
■動画




====================
2018/10/26 動画を差し替え 

2014年3月24日月曜日

絶世の愛国者、金正日将軍 (절세의 애국자 김정일장군)

絶世の愛国者、金正日将軍
절세의 애국자 김정일장군
2001年創作, 최준경作詞, 리광오作曲
白頭山 高くそびえ 待ち焦がれた恩人
天池の水 満ちあふれ お迎えした恩人
太陽民族の運命を 一身に抱き
一心団結の大家庭を 赤く咲かせた
絶世の愛国者 金正日将軍

楽園を 築いてくださり 愛の万里
赤旗を 守ってくださり 前線の万里
先軍領導の銃で 暴風も振り払い
社会主義のわが祖国 勝利を見せつける
絶世の愛国者 金正日将軍

三千里のこの山河を 照らす太陽
新世紀の千万里を 明るくする太陽
強盛大国 この朝鮮 燦爛として建て
自主時代の 春の朝焼け 広げてゆかれる
絶世の愛国者 金正日将軍
백두산 높이솟아 기다린 은인
천지물 흘러내려 맞이한 은인
태양민족 운명을 한품에 안고
일심단결 대가정 붉게 피웠네
절세의 애국자 김정일장군

락원을 펼치시여 사랑의 만리
붉은기 지키시여 전선길 만리
선군령도 총대로 폭풍도 헤쳐
사회주의 내 조국 승리 떨치네
절세의 애국자 김정일장군

삼천리 이 강산을 비치는 태양
새 세기 천만리를 밝히는 태양
강성대국 이 조선 찬란히 세워
자주시대 봄노을 펼쳐가시네
절세의 애국자 김정일장군
■動画

血の海の歌 (피바다가)

革命歌劇「血の海」の主題歌。金日成主席が作った「不朽の古典的名作」です。
血の海の歌
피바다가
不朽の古典的名作
雪空に風すさぶ 恨みの血の海よ
無残な屍 葬ったのは どれほどか
革命に 血を流した者 どれほどか

死んだ者の家族の 悲惨な姿と
途方もない無念さに 胸が張り裂ける
骨身に染みた恨み 千万年 忘れられぬ

だが落胆するな 全世界の無産者よ
ひとりの革命家の 死を代価として
16億7千万の無産政権 樹立されるのだ
설한풍 스산한 원한의 피바다야
참혹한 주검이 묻노니 얼마냐
혁명에 피흘린자 그 얼마에 달하였나

죽은 자 가족의 비참한 그 모습과
기막힌 원통에 가슴이 터진다
사무친 이 원한을 천만추에 못 잊으리

락심을 말아라 전 세계 무산자야
혁명자 하나의 죽음의 피값에
16억 7천만의 무산정권 수립된다
■動画

2014年3月23日日曜日

あの方だけを思う (그이만을 생각하네)

あの方だけを思う
그이만을 생각하네
1995年創作, 신지락作詞, 김운령作曲
昨夜も 人民の
幸福を育むため
仮眠しかできないまま
夜明けを迎えられた
慈愛満つ 将軍様のご健勝願い
あの方だけを思う
朝に 早く目覚めては
あの方だけを思う
ああ 親愛なる
あの方だけを思う

朝早く われらの職場を
真っ先に訪ねてくださり
握り飯を召し上がりながら
はるかへと離れてゆく
慈愛満つ 将軍様のご健勝願い
あの方だけを思う
わが心はいつも 仕事するたび
あの方だけを思う
ああ 親愛なる
あの方だけを思う

《以民為天》 その願いを
この地に花開かせ
将軍様は 人民の首領
われらのお父さん
慈愛満つ 将軍様のご健勝願い
あの方だけを思う
星が出る夜 眠りにつくときも
あの方だけを思う
ああ 親愛なる
あの方だけを思う
간밤에도 인민들의
행복을 가꾸시며
쪽잠에 드신채로
새날을 맞으셨네
자애론 장군님 안녕 바라며
그이만 생각하네
아침에 남먼저 잠을 깨여도
그이만 생각하네
아 친애하는
그이만을 생각하네

이른 새벽 우리의 일터
제일 먼저 찾으시고
줴기밥 드시면서
먼길을 떠나시네
자애론 장군님 안녕 바라며
그이만 생각하네
내 마음 언제나 일할 때에도
그이만 생각하네
아 친애하는
그이만을 생각하네

《이민위천》그 념원을
이 땅에 꽃피시는
장군님은 인민의 수령
우리의 아버지
자애론 장군님 안녕 바라며
그이만 생각하네
별뜨는 깊은 밤 잠들 때에도
그이만 생각하네
아 친애하는
그이만을 생각하네
■動画

2014年3月22日土曜日

祖国のふところ (조국의 품)

祖国のふところ
조국의 품
不朽の古典的名作
牡丹峰に 赤く燃える
朝焼けのようです
大同江に 美しく映える
虹のようです
朝焼けのごとく うるわしい
祖国のふところは
わたしが育った いとしい家
故郷なのです

ツツジが にっこり笑う
早春のようです
ヒバリが さえずる
空のようです
春の日のごとく あたたかい
祖国のふところは
わたしを抱き 育てた
故郷なのです

海上に ふわりと浮かぶ
朝日のようです
夜空に またたく
星あかりのようです
太陽のように 明るい
祖国のふところは
父なる 将軍様の
ふところなのです
모란봉에 붉게 타는
노을인가요
대동강에 곱게 비낀
무지갠가요
노을처럼 아름다운
조국의 품은
내가 자란 정든 집
고향입니다

진달래꽃 방긋 웃는
새봄인가요
종달새가 지저귀는
하늘인가요
봄날처럼 따사로운
조국의 품은
나를 안아 키워 준
어머닙니다

바다우에 둥실 솟는
아침핸가요
밤하늘에 반짝이는
별빛인가요
해빛처럼 밝고 밝은
조국의 품은
아버지장군님
품이랍니다
■歌詞について

金正日総書記が金日成主席をうたった歌ですので、ここでいう「将軍様 (장군님)」とはもちろん金日成主席のこと。

■解説

金正日総書記が朝鮮戦争中の1952年夏ごろ創作した歌。当時10歳の総書記が、前線で戦闘を指揮する父・金日成主席に付き添うなかで作りました。以下、『金正日略伝』から引用します。
 正日少年は作戦台の前で一晩中眠らずに作戦を練る父につきそって、戦況を見きわめ、敵の企図を砕く方法や攻撃、包囲掃滅の 方法、対空、対戦車戦の方法など、父の卓抜な用兵術と革命的楽 観主義、果敢な攻撃精神、不屈の意志、無比の胆力と軍事的手腕を一つひとつ体得していった。そして父にしたがって砲煙にけむ る人民軍各部隊の火力陣地や岩水の滴る坑道工事現場にも入り、 敵機の猛爆で燃えあがる平壌の市街や農村もつぶさに見た。こうして前線と後方の区別もない苛烈な戦争を体験する過程で、父の卓越した指導によって戦争の勝利と明日の繁栄が約束されていることを感得した。
 正日少年は、こうした日々に体得した信念と意志をこめた歌『祖国のふところ』 を創作した。
なお金正日総書記は、この「祖国のふところ」に続いて「祝福の歌」という歌も作っています。


■動画

2014年3月17日月曜日

祝福の歌 (축복의 노래)

祝福の歌
축복의 노래
不朽の古典的名作
光なき山河に 春を呼んでくださり
朝鮮を輝かせてくださった 父なる将軍様
はるかな空の果てに 砲煙が立ちこめれば
人民は ご健勝を お祈り申し上げます

国の運命 一身に担われる
父なる将軍様 人民の首領様
過酷な前線にて ご健勝であられることは
国じゅうの家庭の 幸福であります

米帝を 破ってくださった 英雄の地に
楽園を築いてくださる 父なる将軍様
燦爛たる 朝鮮の 未来のため
人民は ご健勝を お祈り申し上げます
어둡던 강산에 봄을 주시고
조선을 빛내신 아버지장군님
저 멀리 하늘가 포연이 서리면
인민은 안녕을 축복합니다

나라의 운명을 한몸에 지니신
아버지장군님 인민의 수령님
준엄한 전선길 안녕하심은
온 나라 가정의 행복입니다

미제를 쳐부신 영웅의 땅에
락원을 펼치실 아버지장군님
찬란한 조선의 미래를 위해
인민은 안녕을 축복합니다
■歌詞について

안녕을 축복합니다」はそのまま日本語に置き換えれば「安寧を祝福します」ですが、「安寧」も「祝福」も日本語と朝鮮語とでは微妙に意味が違うので、ここは日本語の手紙らしく「ご健勝を お祈り申し上げます」としてみました。そもそも歌詞の元ネタが手紙なので(後述)


■解説

歌詞は、金正日総書記が朝鮮戦争中の1952年、前線にいる父・金日成主席へ送った手紙がもとになっています。以下、『金正日略伝』から引用します。
 1952年8月中旬、正日少年は最高司令部の父のもとを離れて学習に打ち込んだ。そしてこの日々にも険しい前線への道を歩んでいる父の無事を念じてやまなかった。アメリカ帝国主義侵略軍の猛爆のニュースを聞くたびに、日夜前線と後方を駆けめぐる父の安否を気づかった。
 正日少年は父に手紙を書いた。
 「なつかしいお父さんへ。 お父さん、その後お変わりありませんか? 苛烈な祖国解放戦争でヤンキーを打ちのめすため、さぞご苦労 のことと思います。 ...
 そしてなによりも大事なお願いとしてお父さんに申し上げたいことは、お父さんは自分お一人のお体ではなく、全朝鮮人民の領袖だということです。
 ...お父さんがお体に気をつけ、空襲に注意し、いつもお体をいたわってくださることは全朝鮮人民の幸せであり、またぼくたちの幸せです。
 くれぐれもお体に気をつけてくださるよう遠くからお祈りいたします。
 父の万年長寿と無事を切々と祈る手紙を受け取った主席はたいそう喜び、最高司令部ではもちろん、危険な前線視察の途につくときにも、その手紙を肌身離さず持っていた。
 正日少年はその後、その日の手紙の内容で『祝福の歌』 という歌をつくった。
なお、この「祝福の歌」に先立ち、金正日総書記は「祖国のふところ」を作っています。

■動画

2014年3月10日月曜日

復旧建設の歌 (복구건설의 노래)

朝鮮戦争復興期の歌ですね。この時代らしい泥臭いメロディーが印象的です。同時期の歌としては「われらは勝利した」があります。
復旧建設の歌
복구건설의 노래
1953年創作, 류종대作詞, 리천백作曲
基盤は整いつつある 力強く整えよ
敵に焼かれた わが故郷の廃墟に
溶鉱炉の煙突と 質素な家を建て
富強なるわが祖国を建設しよう
米帝をはね返し 勝ったわれら
復旧と建設に 力強く進もう

送電線は延びる 弛みなく延ばせ
山深き峡谷から 広き野の果てまで
モーターを回せ 電灯を点せ
栄えゆく われらの 祖国を建設しよう
米帝をはね返し 勝ったわれら
復旧と建設に 力強く進もう

すべての力をひとつに 力強くひとつに
建設された煙突ごとに 立ち昇る煙と
力強い機械の音 英雄朝鮮の
燦爛たる未来を 築いてゆこう
米帝をはね返し 勝ったわれら
復旧と建設に 力強く進もう
터전을 다진다 힘차게 다져라
원쑤들이 불사른 내 고향 페허에
용광로굴똑과 아담한 집 세워
부강한 우리의 조국을 건설하세
미제를 물리치고 이긴 우리들
복구와 건설에로 힘차게 나간다

전기줄 뻗친다 줄기차게 뻗쳐라
깊은 산 골짝에서 넓은 들 끝까지
발동기 돌려라 전등을 밝혀라
번영하는 우리의 조국을 건설하세
미제를 물리치고 이긴 우리들
복구와 건설에로 힘차게 나간다

모든 힘 합친다 굳세게 합쳐라
건설된 굴똑마다 치솟는 연기와
우렁찬 기계소리 영웅조선의
찬란한 앞길을 꾸려 나가세
미제를 물리치고 이긴 우리들
복구와 건설에로 힘차게 나간다
■動画





====================
2011/12/13 リクエストをいただき、作成
2014/03/10 2番が抜けていたので追加。あと朝鮮語歌詞も追加

2014年3月1日土曜日

先軍勝利の花火 (선군승리 불보라)

先軍勝利の花火
선군승리 불보라
윤두근作詞, 리민호作曲
祝日の夜に咲く
祝砲のあの花火
困難に克った山河が
恍惚に包まれる
ああ 花火 花火
強盛大国の花火
将軍様が抱かせてくれた
先軍勝利の花火

鉄嶺に咲き乱れる
ツツジの花だろうか
降仙が散らす
鉄の火花の滝だろうか
ああ 花火 花火
強盛大国の花火
将軍様が抱かせてくれた
先軍勝利の花火

千里馬 はばたく空に
壮快な祝砲の響き
世界が驚く幸福の
大門を叩くのだ
ああ 花火 花火
強盛大国の花火
将軍様が抱かせてくれた
先軍勝利の花火
명절의 밤에 피여난
축포의 저 불꽃
고난을 이긴 강산에
황홀경 펼치였네
아 - 불보라 불보라
강성대국 불보라
장군님 안아오신
선군승리 불보라

쳘령에 피여 만발한
철죽꽃인가
강선이 뿜어 터치는
쇠물꽃폭포인가
아 - 불보라 불보라
강성대국 불보라
장군님 안아오신
선군승리 불보라

천리마 나는 하늘에
장쾌한 축포성
세상이 들썩 만복의
대문을 두드리네
아 - 불보라 불보라
강성대국 불보라
장군님 안아오신
선군승리 불보라
創作年は不明ですが、2011年〜2012年ごろではないかと思います。


■動画

2014年2月27日木曜日

われらは廃墟から立ち上がった (우리는 빈터에서 시작하였네)

われらは廃墟から立ち上がった
우리는 빈터에서 시작하였네
1980年創作, 김두일作詞, 리봉룡作曲
ともしび美しい 楽園の夜よ
花の海 広がる 祖国の街よ
この幸せ くださるため われらの首領様
廃墟に上に 建国の 鍬を入れた

砲火に燃え尽きた 廃墟の上から
われらは無一文で 立ち上がった
首領様が われらとともに いらっしゃり
千里馬の たくましき翼 広げてくれた

われら 自己の力で われらの方法で
この地に チュチェの祖国 立派に築いた
きょうも あすも いつでも 心あわせ
首領様と党を信じ われら生きてゆかん
불빛도 아름다운 락원의 밤이여
꽃물결 흘러가는 조국의 거리여
이 행복 주시려고 우리의 수령님
빈터우에 건국의 첫삽을 뜨셨네

포화에 불타버린 페허우에서
우리는 맨손으로 시작하였네
수령님 우리들과 함께 계시며
천리마의 억센나래 펼쳐주셨네

우리는 제 힘으로 우리의 식대로
이 땅에 주체조국 높이 세웠네
오늘도 래일도 언제나 한마음
수령님과 당을 믿고 우리는 살리라
■動画

3人の友だち (세 친구)

3人の友だち
세 친구
1997年創作, 황진영作詞, 황진영作曲
空と陸と海
持ち場は違っても
陸海空軍 われらは
睦まじい3人の友達
ソレソレ 将軍様の
命令さえ下れば
われら3人の友達
肉弾となって砕ける

戦いのその日には
心をひとつにして
侵略者を打ち破る
勇敢な3人の友達
ソレソレ 将軍様の
命令さえ下れば
われら3人の友達
肉弾となって砕ける

祝砲が轟きわたる
戦勝の広場で
勝利の報告 ともに捧げる
永遠なる3人の友達
ソレソレ 将軍様の
命令さえ下れば
われら3人の友達
肉弾となって砕ける
하늘과 땅 바다
초소는 달라도
륙해공군 우리들은
다정한 세 친구
그래그래 장군님
명령만 내리면
세 친구 우리는
육탄 되여 터지리

싸움의 그날엔
한마음한뜻 되여
침략자를 때려 부실
영감한 세 친구
그래그래 장군님
명령만 내리면
세 친구 우리는
육탄 되여 터지리

축포가 오르는
전승의 광장에서
승리의 보고 함께 드릴
영원한 세 친구
그래그래 장군님
명령만 내리면
세 친구 우리는
육탄 되여 터지리
■音源



以前mp3をうpしました

■画像


====================
2009/06/21 旧ブログに掲載
20**/*/* 新ブログに移植(日付不明)
2014/02/26 改訳・歌詞掲載

わたしは考える (나는 생각해)

わたしは考える
나는 생각해
1992年創作, 김정훈作詞, 우정희作曲
あかり灯る 窓辺にて わたしは考える
幸福は どこから来るものなのか
すると今宵も わたしの心のなかに
党中央のともしび 浮かび上がる
そのともしび 仰ぎ見て わたしは考える
幸福は どこから来るものなのか

あかり灯る 窓辺にて わたしは考える
幸福は どうやって来るものなのか
すると 指導の 歩みが残った
農場の道 牧場の道に 思い至る
その歩み 心に刻んで わたしは考える
幸福は どうやって来るものなのか

夜が 深まるにつれ わたしは考える
尽きないわたしの幸福 終わりはどこか
わが党の懐で はじまった幸福
いつもその終わりは わからない
夜が 深まるにつれ わたしは考える
恵み深いその懐 永遠に慕おう
永遠に慕おう
불밝은 창가에서 나는 생각해
행복이 어디서 오는것인지
그러면 이밤도 내 마음속에
당중앙 불빛이 어려오네
그 불빛 우러르며 나는 생각해
행복이 어디서 오는것인지

불밝은 창가에서 나는 생각해
행복이 어떻게 오는것인지
그러면 향도의 자욱이 어린
농장길 막장길 안겨오네
그 자욱 간직하며 나는 생각해
행복이 어떻게 오는것인지

이밤이 깊을수록 나는 생각해
커가는 내 행복의 끝은 어딘지
우리 당 품에서 시작된 행복
언제나 그 끝은 알수 없네
이밤이 깊을수록 나는 생각해
고마운 그 품을 영원히 따르리
영원히 따르리

よく朝鮮中央テレビで翌日の番組案内の前に流れる曲です。

■動画

2014年2月22日土曜日

金正日同志に捧げる歌 (김정일동지께 드리는 노래)

金正日同志に捧げる歌
김정일동지께 드리는 노래
1992年創作, 김건일作詞作曲
鴨緑江の岸辺から 南海の果てまで
人民は歌う 親しきその名
朝鮮を担い立つ 金正日同志
千年万年 慕わん とわに 仰がん

この地に楽園を 築いてくれて
人民は歌う 親しきその名
朝鮮を輝かせる 金正日同志
千年万年 慕わん とわに 仰がん

チュチェのたいまつ 高く掲げ
人民は歌う 親しきその名
自主の未来を照らす 金正日同志
千年万年 慕わん とわに 仰がん
압록강 기슭에서 남해의 끝까지
인민은 노래하네 친근한 이름
조선을 책임지신 김정일동지
천만년 따르리 길이 받들리

이 땅에 락원을 펼쳐주시여
인민은 노래하네 친근한 이름
조선을 빛내시는 김정일동지
천만년 따르리 길이 받들리

주체의 홰불을 높이 드시여
인민은 노래하네 친근한 이름
자주의 앞길 밝히는 김정일동지
천만년 따르리 길이 받들리
■動画

2014年2月14日金曜日

豊年の鳥が飛んでくる (풍년새가 날아든다)

豊年の鳥が飛んでくる
풍년새가 날아든다
1960年創作, 한찬보作詞, 리동준作曲
鳥が 鳥が 飛んでくる
鳥が 鳥が 飛んでくる
さらさら枝垂れる柳には
キビタキか ホトトギスか
地味だった歌も 垢抜けてきた
地味だった歌も 垢抜けてきた
美しい山河だと
暮らしがよくて歌うのか
ゆらりゆらり ゆらゆら
ゆらりゆらり ゆらゆら
この木 あの木 訪ねて
つがいで飛んでくる

鳥が 鳥が 飛んでくる
鳥が 鳥が 飛んでくる
花咲く春 いい日だから
うた歌う あのホトトギス
ことしも豊年を歌うのさ
ことしも豊年を歌うのさ
あぜ道の畑に
種をたっぷり 撒いてゆく
ゆらりゆらり ゆらゆら
ゆらりゆらり ゆらゆら
ここでもそこでも カッコウ
つがいで飛んでくる
새가 새가 날아든다
새가 새가 날아든다
실실 늘어진 양버들엔
황금새런가 꾀꼴새야
구성진 네 노래 멋들었다
구성진 네 노래 멋들었다
금수강산이라
살기가 좋아서 노래하냐
둥기 둥기 둥둥
둥기 둥기 둥둥
이 나무 저 나무 찾아서
쌍쌍이 날아든다

새가 새가 날아든다
새가 새가 날아든다
꽃핀 봄날 좋은 때라
노래 부르는 저 뻐꾹새
올해도 풍년을 부르누나
올해도 풍년을 부르누나
사래긴 밭에
씨앗을 듬뿍히 뿌려간다
둥기 둥기 둥둥
둥기 둥기 둥둥
여기서 저기서 뻐뻐꾹
쌍쌍이 날아든다
民謡「鳥タリョン (새타령)」を意識して作られたと思われる曲。普天堡電子楽団による録音(編曲:チャン・リョンシク、歌:李粉姫)は間奏が4拍子になるのがかっこいいです。ちなみに、下に動画を貼った李粉姫独唱会の映像では、CD録音で間奏にあたる部分も歌詞を歌っています。

■動画

2014年2月10日月曜日

首領様のおかげさ (수령님 은덕일세)

 現在、電子工業の発展にともなって世界的に新しい電子楽器が出現しており、それにもとづいた新たな現代音楽が発展している。現代科学の成果が取り入れられ、音楽的形象の立体化水準も日ごとに高まっている。こういった音楽の発展趨勢を無視しては音楽を世界的レベルに引き上げることはできない。
金正日
きょう取りあげるのは「首領様のおかげさ」(1974年創作)です。もとは1970年代の曲ですが、普天堡電子楽団によって再形象されたことで知っている方が多いのではないでしょうか。
首領様のおかげさ(수령님 은덕일세)
作詞:キム・ジェファ (김재화)
作曲:キム・ジェソン (김제선) 
普天堡電子楽団の歌詞
めでたや めでたや
農場は めでたや

千里の野 黄金の野が
豊作に恵まれたから
農場の村 分配場に
祝いごとがやってきた

めでたや (オルサ)
めでたや (チョルサ)
豊年満作 (チョッタ)
めでたや (ハハハハ)
農場の村 (ニナノ)
分配場は (ナンノ)
祝いごとがやってきた

この幸せを
誰がくださったのか
わが党が
もたらしたものさ
この幸せを
誰がくださったのか
首領様の ご恩なのさ

めでたや
경사났네 경사났네
농장벌에 경사났네

천리벌 황금벌에
대풍이 들더니
농장마을 분배장에
경사가 났구나

경사로다 (얼싸)
경사로다 (절싸)
만풍년의 (좋다)
경사로다 (하하하하)
농장마을 (니나노)
분배장에 (난노)
경사가 났네

이 행복을
그 누가 주었나
우리 당이
가져다 주었네
이 행복을
그 누가 주었나
수령님의 은덕일세

경사로다
普天堡電子楽団(2003年版)の歌詞
めでたや めでたや
農場は めでたや

千里の野 黄金の野が
豊作に恵まれたから
農場の村 分配場に
祝いごとがやってきた
稲むらの 雲のうえ
もくもく 高く積み
喜びあふれる

ああ うた歌わん
首領様の ご恩を
千年万年 歌わん

めでたや (オルサ)
めでたや (チョルサ)
豊年満作 (チョッタ)
めでたや (ハハハハ)
農場の村 (ニナノ)
分配場は (ナンノ)
祝いごとがやってきた

この幸せを
誰がくださったのか
わが党が
もたらしたものさ
この幸せを
誰がくださったのか
首領様の ご恩なのさ

ああ うた歌わん
エーへー めでたや
경사났네 경사났네
농장벌에 경사났네

천리벌 황금벌에
대풍이 들더니
농장마을 분배장에
경사가 났구나
벼낟가리 구름우에
두 둥실 높이 쌓고
기쁨에 넘쳤네

아 노래 부르세
수령님 그 은덕을
천만년 노래하세

경사로다 (얼싸)
경사로다 (절싸)
만풍년의 (좋다)
경사로다 (하하하하)
농장마을 (니나노)
분배장에 (난노)
경사가 났네

이 행복을
그 누가 주었나
우리 당이
가져다 주었네
이 행복을
그 누가 주었나
수령님의 은덕일세

아 노래 부르세
에헤 경사로다
オリジナル歌詞
千里の野 黄金の野は
豊作に恵まれて
農場の村 分配場は

めでたきに沸く
稲むらの 雲のうえ
もくもく 高く積み
喜びあふれる

ああ うた歌わん
首領様の ご恩を
千年万年 歌わん

国の米びつが
いっぱいに満ちて
家々に笑いあり
人々に喜びあり
これみなすべて 誰のおかげか
父なる首領様の
はてなき ご恩なのさ

過ぎし日 小作暮らしに
涙もあふれたが
夢のごとき 新しき世で
幸せに生きる
父なる首領様が
陣頭に立たれ

この幸せをくださった

ああ うた歌わん
首領様の ご恩を

千年万年 歌わん
천리벌 황금벌에
대풍이 들더니
농장마을 분배장에

경사가 났구나
벼낟가리 구름우에
두 둥실 높이 쌓고

기쁨에 넘쳤네

아 노래 부르세
수령님 그 은덕을

천만년 노래하세

나라의 쌀독이

가득 차 넘치니
집집마다 웃음이요

사람마다 기쁨일세
이게 모두 뉘 덕인가
어버이수령님의

크나큰 은덕일세

지난 날 머슴살이

눈물도 많더니
꿈 같은 새 세상에

잘 살게 되였네
어버이수령님이
진두에 서시여

이 행복 주셨네

아 노래 부르세
수령님 그 은덕을

천만년 노래하세

■音源
普天堡電子楽団第1集より

■解説
原曲はキム・ジェソンが作曲した歌謡。8分の6拍子の、新民謡風の作品である。歌唱入りのCD音源は確認されていないが、万寿台芸術団による器楽演奏版が存在する(万寿台芸術団第43集)。

「首領様のおかげさ」の楽譜。『朝鮮歌謡大全集 (조선노래대전집)』より

とはいえ、冒頭でも述べたように、この曲に関して特筆すべきは普天堡電子楽団による再形象(アレンジ)版だろう。普天堡電子楽団第1集をはじめとして、いくつかのCDに収録されている。録音の時期は不明だが、1980年代後半(85年〜89年)とみられる。なお、これとほぼ同一構成の別録音が普天堡電子楽団第150集(2003年)に収録されている。

編曲を手がけたのは人民芸術家ク・スンヘ (구승해) だ。ク・スンヘは、「首領様のおかげさ」と同じく普天堡電子楽団初期の器楽中心の作品である「フルラリ」「農楽」などのを編曲者であるほか、「勝利の閲兵式」や「われらは党の軍隊」の作曲もしている。普天堡電子楽団では、リ・ジョンオらと同じく指揮者も務めたようだ。

ク・スンヘが編曲した「首領様のおかげさ」は、およそ4分の作品。冒頭に鳴りはじめる電子音は、なんとも言えずチープであり、コミカルですらある。しかし、そこへベースやエレキギターの音色が合流していき、男声ボーカルも被さったところでピアノソロが一気に曲を盛り上げる。そして、本曲の主題である「首領様のおかげさ」(原曲)のメロディを、安定感あるお馴染みの普天堡サウンドが奏ではじめる。原曲のメロディが1周し、2周目に入ると歌詞のボーカルも加わる。それでも、歌われるのは3節から成る原曲のうち第1節(1番)、それも「千里の野 黄金の野は/豊作に恵まれて/農場の村 分配場は/めでたきに沸く」まで。そこからは再び器楽に戻り、2周目が終わる。ここまでが全4分のうち前半2分。

さて、後半2分へ差しかかったころで、さらにドラスティックな展開が待ち受けている。転調だ。いったい何が起ころうとしているのか。「めでたや (オルサ)...」から始まるボーカルの掛け合いが過ぎ去ると、民謡「豊年歌 (풍년가)」のメロディが一瞬、顔を見せる。

だが、これが単に「豊年歌」を引用したのではないことが、すぐさま明らかになる。なんと後半2分の主題は、あの「チョンサンポル (청산벌)」、つまり「青山里に豊年が来た (청산벌에 풍년이 왔네)」(1960年創作、金玉成作曲)そのものなのだ。「この幸せを/誰がくださったのか/...」に始まる本曲のクライマックスは、メロディも歌詞も、「チョンサンポル」のクライマックスと完全に共通している。そして、男声ボーカルが「首領様の ご恩なのさ」と高らかに歌い上げ、その余韻をドラムソロが受けとめきったところで、「チョンサンポル」に憑依されていた本曲は、われに返ったかのごとく再び転調し、原曲「首領様のおかげさ」に戻って締めくくられる。

ところで、転調以外にも、この曲には音楽的に特筆すべき点がある。前半2分の主題として用いられた「首領様のおかげさ」は、たしかにメロディは原曲と同一なのだが、拍子が原曲と異なるのだ。ク・スンヘは、「首領様のおかげさ」といういかにも民謡然とした8分の6拍子の曲を題材に選んだうえで、あえて拍子まで現代風にアレンジする大胆な再形象に挑んだということになる。思えば、「チョンサンポル」も、4拍子の曲でありながら、8分の6拍子の民謡「豊年歌」のメロディを引用していた(それゆえ、さっき「豊年歌」に言及したのである)。

また、クライマックスで歌唱される2回の「この幸せを/誰がくださったのか」においてボコーダーを使用していることも見逃せない。普天堡電子楽団第1集の録音ではシンセ音と同化してしまっていてわかりづらいが、普天堡電子楽団日本公演の映像(1991年、日本青年館)では、功勲俳優キム・ヘソン (김해성) がカシオ製のボコーダーつきシンセサイザーと思われる機材を使用しているのがはっきりと確認できる。「首領様のおかげさ」は、編曲だけでなく、機材面でも野心的な試みがなされていたというわけだ。ボコーダーの使用は、普天堡電子楽団の他作品に見られない特徴である。

当該場面。ここでキム・ヘソンが操作しているのは
上のローランドD-70ではなく、その下のカシオ製シンセである

さて、この記事の冒頭に掲げた金正日総書記の言葉は、『音楽芸術論』(1991年)からの引用だ。1980年代は、欧米と日本を中心にテクノやエレクトロが音楽チャートを席巻した時代。総書記は、こういった世界的な現代音楽の流れを意識していたのだろう。当該箇所の記述は次のように続く。
 外国の音楽の成果と経験を取り入れるにあたっては、なんでも見境なしに取り入れたり、うのみにすることなく批判的に取り入れて、自分のものとして消化する必要がある。外国の音楽はいかにりっぱなものであっても、そのまま自国の現実と人民の好みに合うわけではない。
 音楽の現代化においても主体性を確立しなければならない。われわれは電子楽器を利用するにしても朝鮮音楽に合うように利用し、現代音楽を演奏するにしても朝鮮式に演奏すべきである。人民が普天堡電子楽団の音楽を好むのは、電子楽器で朝鮮音楽を朝鮮式にりっぱに演奏するからである。
思えば、朝鮮民主主義人民共和国の音楽史は、いかに「主体性」を確保したうえで、「現代化」も怠らず、かつ「人民の好みに合う」音楽を生み出すか——という難題とともに歩み続けてきた歴史であった。その試行錯誤の歩みのなかで、金玉成の「青山里に豊年が来た(チョンサンポル)」はひとつのメルクマールであったように思う。

普天堡電子楽団の「首領様のおかげさ」は、「チョンサンポル」への、そして、「チョンサンポル」に象徴される先人たちの音楽的闘争へのオマージュだったのではないか。電子楽器という新しい武器を手にした新進気鋭の音楽人たち。彼らにとって、この作品こそ、かの朝鮮音楽史上の難題にたいする解答として、満を持して世に —そして金正日総書記に— 送り出した、いわば「第二のチョンサンポル」だったのではないか。そんな想像を膨らませずにはいられない。

いずれにしても普天堡電子楽団の「首領様のおかげさ」は、間違いなく、チュチェ音楽のひとつの到達点だ。
 
(^q^)