2016年11月9日水曜日

訃報

労働英雄、人民芸術家であるリ・ジョンオ(리종오)同志の訃報に接し、深い悲しみと哀悼の意を表明いたします。

《朝鮮労働党万歳!》
2016年11月9日

2016年10月10日月曜日

【党創建71周年慶祝】お母さんの誕生日 (어머니생일)

お母さんの誕生日
어머니생일
2015年創作, 차호근 (チャ・ホグン)作詞, 김운룡 (キム・ウルリョン)作曲
喜びの10月 人民の祝日
千万の子息は心の 花束を結ぶ
黄金の10月 豊穣なる秋
その手が育てた   実りもたわわ
わたしのお母さん われらのお母さん
世界でいちばん 親しみ深いのだ
朝鮮労働党 お母さんの誕生日
10月の祝日 おめでとうございます

幸せの10月 幸運の祝日
その人徳の伝説は 山川を覆う
歓喜の10月 燃えあがる季節
山河も心も 赤く染めあがる
わたしのお母さん われらのお母さん
世界でいちばん 暖かいのだ
朝鮮労働党 お母さんの誕生日
10月の祝日 おめでとうございます

輝きの10月 不滅の祝日
もっと偉大な勝利が われらを呼ぶ
とこしえの10月 栄光の歳月
これからの未来は さらに眩しい
わたしのお母さん われらのお母さん
世界でいちばん 偉大なのだ
朝鮮労働党 お母さんの誕生日
10月の祝日 おめでとうございます
기쁨의 10월 인민의 명절
천만자식 마음의 꽃다발 엮네
황금의 10월 풍요한 가을
그 손길 가꿔준 열매도 많네
나의 어머니 우리 어머니
이세상 제일 친근하여라
조선로동당 어머니생일
10월명절 축하합니다

행복의 10월 행운의 명절
그 인덕의 전설은 강산을 덮네
환희의 10월 불타는 계절
산천도 마음도 붉게 물드네
나의 어머니 우리 어머니
이세상 제일 따듯하여라
조선로동당 어머니생일
10월명절 축하합니다

빛나는 10월 불멸할 명절
더 위대한 승리가 우릴 부르네
무궁할 10월 영광의 세월
맞이할 앞날은 더 눈부시네
나의 어머니 우리 어머니
이세상 제일 위대하여라
조선로동당 어머니생일
10월명절 축하합니다
■解説

朝鮮労働党を「母」になぞらえ擬人化する歌の嚆矢は「母なる党よ (어머니당이여)」(1964年創作)であり、決して珍しいものではない。近年でも「お母さんの声 (어머니의 목소리)」や「わたしの心の声 (내 심장의 목소리)」など、「母」のレトリックを用いた党頌歌は多数、生まれてきた。今回取りあげる「お母さんの誕生日 (어머니생일)」が党創建記念日を「誕生日」になぞらえたのも、この「母」類型の文脈から自然に出てきた発想であると言えよう。

ただ、「お母さんの誕生日」の特筆すべき点は、この作品が朝鮮労働党創建70周年という特定のイベントを盛り上げるための道具として、綿密に準備されたものだと考えられることだ。その点を確認するため、まずは「お母さんの誕生日」発表の経緯を振り返りたい。

いまから1年前の2015年10月、朝鮮労働党は創建70周年を迎えた。党創建70周年は党にとって大きな慶事であっただけに、それを盛り上げる朝鮮音楽界にとっては力量を試される機会になった。北朝鮮メディアは、同月11日から連日公演された1万人大公演「偉大なる党、燦爛たる朝鮮」や、同じく11日などに開かれた功勲国家合唱団と牡丹峰楽団の合同公演について、その関連報道を連日伝えた。またこの月、『労働新聞』は新曲を含む歌詞・楽譜を多数、掲載した。その掲載日、掲載面、そして曲名を以下に示す。
5日付[3面] - お目にかかりたいです (뵙고싶었습니다)
8日付 [7面]- われらの金正恩同志 (우리의 김정은동지)
9日付[4面] - わが党に永遠に従わん (우리 당 영원히 따르리)
10日付[8面] - お母さんの誕生日 (어머니생일)
15日付[2面] - 運命の手 (운명의 손길)
21日[4面] - われらは党旗を愛す (우리는 당기를 사랑하네)
このように、2015年10月の『労働新聞』に掲載された歌詞・楽譜は7曲にも及んだが、そのなかでも党創建70周年当日である10日付の紙面に掲載された曲が「お母さんの誕生日 」であった。

発表後さっそく、「お母さんの誕生日」は前記の合同公演において開始曲および終曲として登場。花火などの特殊効果とともに華々しく披露された。このような経緯からして、「お母さんの誕生日」は、党創建70周年という一大慶事を盛り上げるいわばテーマ曲のような位置づけの作品として、周到に準備されたものだったと想像できる。

ただ、「お母さんの誕生日」は党創建70周年を記念する作品として創作されたとはいえ、70周年のためだけに作られた曲ではなさそうだ。「お母さんの誕生日」は歌詞中で「70周年」に言及しているわけではないので、2015年の党創建70周年に限らず、毎年の党創建記念日を祝賀する歌として今後も利用していくことが可能な歌なのである。

「党創建記念日ソング」の地位は、かつて普天堡電子楽団の「10月です」(1995年創作)が事実上独占していた。「10月です」は「お母さんの誕生日」にその座を明け渡し、歴史的な役割を終えたのだろうか。そうだとすれば、少し淋しくもある一方、ポスト普天堡時代の朝鮮音楽がしっかりと新陳代謝している事実に、うれしさも感じるのである。


■動画

2016年9月25日日曜日

未来を抱いて生きよう (미래를 안고 살자)

未来を抱いて生きよう
미래를 안고 살자
1996年創作, 류우현 (リュ・ウヒョン) 作詞・作曲
苦難を 乗り越え
われらゆく この道は
よりよい あしたを
迎えに行く道
たける吹雪が
どれだけ吹きまこうとも
白頭の精神で
笑って突き進む
友よ 信念を高らかに
あしたのための きょうを生きよう
未来を 抱いて生きよう

試練を 乗り越え
われらゆく この道は
よりよい あしたを
迎えに行く道
われらの 隊伍が
楽になることはなくても
後世の幸せのため
この身を捧げる
友よ 信念を高らかに
あしたのための きょうを生きよう
未来を 抱いて生きよう

将軍様に お仕えし
必勝の信念 あふれて
将軍様を 仰ぎ
度胸は据わっていて
苦難も 試練も
みな甘く感じられて
最後の勝利者として
われら生きるだろう
友よ 信念を高らかに
あしたのための きょうを生きよう
未来を 抱いて生きよう
고난을 헤치며
우리 가는 이 길은
더 좋은 래일을
마중 가는 길
사나운 눈보라
아무리 휘몰아쳐도
백두의 정신으로
웃으며 헤친다
동무들아 신심 드높이
래일위한 오늘에 살자
미래를 안고서 살자

시련을 헤치며
우리 가는 이 길은
더 좋은 래일을
마중 가는 길
우리의 대어는
락을 보지 못해도
후대들 행복 위해
한몸 바친다
동무들아 신심 드높이
래일위한 오늘에 살자
미래를 안고서 살자

장군님 모시여
필승의 신념 넘치고
장군님 받들어
배짱은 든든해
고난도 시련도
모두다 달게 여기며
최후의 승리자로
우리 살리라
동무들아 신심 드높이
래일위한 오늘에 살자
미래를 안고서 살자
■動画


出演:ワンジェサン軽音楽団 (独唱:リョム・チョン)

2016年9月16日金曜日

党に従い星のごとく生きん (당을 따라 별처럼 나도 살리)

党に従い星のごとく生きん
당을 따라 별처럼 나도 살리
예술영화 《운행길에서 만나 처녀》 중에서
1983年創作, 전동우 (チョン・ドンウ)作詞, 서정건 (ソ・ジョンガン)作曲
険しい峰が立ちはだかれど
川の水は流れ
千里の道は遙かなれど
わが心は駆けてゆく
ああ 党に従って
わが心は駆けてゆく

あたたかい園にだけ
花々は美しく咲くのか
北風に咲く花の
姿はもっと美しい
ああ 赤く咲く
その姿はもっと美しい

静かな空にだけ
星たちはまたたくのか
心のなかには 赤く燃える
忠誠の星があるのだ
ああ 変わることなき
忠誠の星があるのだ

戦いの日々にだけ
英雄はいたのか
花咲く楽園にも
英雄は生きているのだ
ああ いつの日も
英雄は生きているのだ

瞬間を生きるにも
花のごとく われは生き
一生を生きるにも
星のごとく われ生きん
ああ 党に従い
星のごとく われ生きん
험한 령 막아서도
강물은 흘러가고
천리길이 멀다해도
내 마음 달려가네
아 당을 따라
내 마음 달려가네

따뜻한 동산에만
꽃들이 곱게 피나
찬바람에 피는 꽃은
그 모습 더욱 곱네
아 붉게 피는
그 모습 더욱 곱네

고요한 하늘에만
별들이 반짝이나
가슴속엔 붉게 타는
충성의 별이 있네
아 변치 않는
충성의 별이 있네

싸움의 그날에만
영웅이 있었던가
꽃이 피는 락원에도
영웅은 살아있네
아 그 언제나
영웅은 살아있네

순간을 산다면
꽃처럼 나도 살고
한평생을 산다면
별처럼 나도 살리
아 당을 따라
별처럼 나도 살리
芸術映画「行く道で出会った娘 (운행길에서 만나 처녀)」の挿入歌。

  ■動画

2016年8月7日日曜日

臨津江 (림진강)

臨津江
1957年創作, 朴世永 (박세영) 作詞, コ・ジョンファン (고종환) 作曲
臨津江 清き水は
とうとうと流れ
たくさんの鳥たち
自由に飛び交うけれど
わが故郷 南の地へは
行きたくても行けないから
臨津江 その流れよ
恨みを乗せ 流れているのか

川向こうのヨシ原では
ヨシキリだけが悲しげに鳴いて
痩せた荒野では
草の根を掘るばかりだけが
協同農場の 稲穂の海が
波のうえに 躍るから
臨津江 その流れを
分かつことはできまい

わが故郷 南の地へは
行きたくても行けないから
臨津江 その流れよ
恨みを乗せ 流れているのか
림진강 맑은물은
흘러흘러 내리고
뭇새들 자유로이
넘나들며 날건만
내 고향 남쪽땅
가고파도 못가니
림진강 흐름아
원한싣고 흐르느냐

강건너 갈밭에선
갈새만 슬피울고
메마른 들판에선
풀뿌리를 캐건만
협동벌 이삭바다
물결우에 춤추니
림진강 흐름을
가르지는 못하리라

내 고향 남쪽땅
가고파도 못가니
림진강 흐름아
원한싣고 흐르느냐
■動画

2016年6月23日木曜日

その偉業よ輝け、金正日将軍 (그 위업 빛나라 김정일장군)

その偉業よ輝け、金正日将軍
그 위업 빛나라 김정일장군
2002年創作, 최준경 (チェ・ジュンギョン) 作詞, 리광오 (リ・グァンオ) 作曲
白頭山の気性を胸に 革命の万里
龍南山の誓いを胸に 愛国の万里
チュチェの赤旗 高らかに翻して
人民の楽園 広げてくださる
その偉業 万代 とわに輝け 金正日将軍

わが党の一心団結 しっかりと固めて
社会主義の大家庭を 赤く花咲かせる
先軍の武装で 暴風を吹かせ
祖国の尊厳を 守ってくださるのだ
その偉業 万代 とわに輝け 金正日将軍

太陽の民族を 懐に抱いて どこまでも
強盛大国を 輝かせながら どこまでも
燦爛たる未来を たぐり寄せて
百勝を見せつけてくださる
その偉業 万代 とわに輝け 金正日将軍
백두산의 기상 안고 혁명의 만리
룡남산의 맹세 안고 애국의 만리
주체의 붉은기 높이 날리며
인민의 락원 펼쳤네
그 위업 만대에 길이 빛나라 김정일장군

우리 당의 일심단결 굳게 다지고
사회주의 대가정을 붉게 피웠네
선군의 총대로 폭풍 가시며
조국의 존엄 지켰네
그 위업 만대에 길이 빛나라 김정일장군

태양민족 품에 안고 세상 끝까지
강성대국 빛내시며 세월 끝까지
찬란한 미래를 앞당기시며
백승을 떨쳐 가시네
그 위업 만대에 길이 빛나라 김정일장군
■動画

2016年6月15日水曜日

「朝鮮労働党万歳!」開設10周年を迎えて

「朝鮮労働党万歳!」は本日、開設10周年を迎えた。2006年6月15日に投稿した最初の記事から丸10年が経ったわけである。

ときどき、本サイトのことをかなり古くからずっとご覧くださっている読者がいることを知って、大いに驚かされることがある。こんなに更新頻度が低く、内容も拙いサイトであるにも関わらず、である。しかも、本サイトは当初と現在とでずいぶん路線が変わってしまっているし、古くからご覧くださっている方ほど、そのことはよくご存じだろうと思う。

開設10周年を迎えるにあたり、古くからの読者のみなさまにも、最近になって本サイトを発見してしまった読者のみなさまにも、まずは深く感謝申し上げたい。

この10年間、本当にいろいろなことがあった。わけても最大の出来事は、2011年に金正日総書記が死去したことであろう。あまりにも衝撃的なことだったので、本サイトとしてもいまだにちゃんと総括できていない。ただ、わたしなどが総括するまでもなく、2015年の芸術公演「追憶の歌」が立派にその役割を果たしてくれたように思う。

きょうから始まる10年間は、果たして朝鮮音楽にとってどんな10年間になるのだろうか。不安な面もないわけではない。しかし、それ以上に大きな期待を抱いている。海を隔てた日本の地からではあるが、朝鮮音楽への熱烈な思いを胸に、これからも見守っていきたいと思う。

《朝鮮労働党万歳!》
2016年06月15日

2016年5月27日金曜日

父なる将軍様を心より仰がん (아버지장군님 더 잘 모시리)

父なる将軍様を心より仰がん
아버지장군님 더 잘 모시리
2003年創作, 최준경 (チェ・ジュンギョン)作詞, 김광훈 (キム・グァンフン)作曲
膝もとの子弟たちは 千万にもおよび
ゆかれた悪路は 千曲がりか 万曲がりか
われらの父 金正日将軍様
その歩みが刻まれるごと わが胸は熱くなる

前線の道を踏んで 災禍のなかをゆかれ
楽園の道を開いて 千万の福を育てられる
われらの父 金正日将軍様
ゆかれる道には 日や月さえ ついていけない

人民のための苦労を 楽しみとして
施したその愛は あめつちに満ちあふれる
われらの父 金正日将軍様
子弟としての道を守り 千年万年 心より仰がん
슬하의 자식들이 천만이여서
찾으신 험한길도 천갈래 만갈랜가
우리의 아버지 김정일장군님
그 자욱 새길수록 이 가슴 뜨거워라

전선길 다 밟으며 화를 가시고
락원의 길을 열어 천만복 가꾸시네
우리의 아버지 김정일장군님
가신 길 해와 달도 따르지 못했어라

인민을 위한 고생 락으로 삼고
베푸신 그 사랑은 하늘땅에 넘쳐나네
우리의 아버지 김정일장군님
자식의 도리지켜 천만년 더잘 모시리
■動画

2016年5月18日水曜日

【党第7次大会慶祝】わたしの心の声 (내 심장의 목소리)

36年ぶりの党大会であった朝鮮労働党第7次大会は、金正恩元帥を党委員長に推戴し、勝利の大会、栄光の大会として幕を下ろした。きょうは、この党第7次大会を慶祝して党についての歌をひとつ紹介したい。
わたしの心の声
내 심장의 목소리
2014年発表, 리혜정 (リ・ヘジョン) 作詞, 림금성 (リム・クムソン) 作曲, 황진영 (ファン・ジニョン) 編曲
心に秘めた どんな考えも
お母さんには 打ち明けます
飾ることなく 装うことなく
心を 開くのです
そうすれば やさしいお母さんは
思慮深い そのまなざしで
うれしかった思いも 痛かった傷も
あたたかく 察してくれるのです

愛がなければ 打てなかった
痛い鞭も 打ってくれて
至らない この子にも 情けをかけて
育ててくれた お母さん
ためらいなく 気兼ねなく
その懐に 抱いてもらって
隠していた過ちも 言えなかった罪も
あなたに 打ち明けるのです

その懐で育った 千万の子らは
心ひとつに見あげて
いのちを与え 輝かせてくれる
お母さんに つき従います
私心なく 変わることなく
あなただけを愛する心
お母さん お母さん 偉大なお母さん
永遠に 抱かれます

党よ 党よ 母なる党よ
永遠に仰いでゆきます
가슴에 품은 모든 생각을
어머니께 아룁니다
꾸밈도 없이 가식도 없이
진정을 터칩니다
그러면 정깊은 어머니
그윽하신 그 눈길로
기뻤던 마음도 아팠던 상처도
따뜻이 헤아립니다

사랑 아니면 들수 없었던
아픈 매도 들어가며
못난 자식도 정을 다하여
키워주신 어머니
주저없이 스스럼없이
그 품속에 안겨들며
숨겼던 잘못도 서슴던 허물도
그대로 터놓습니다

그 품에 자란 천만아들딸
한마음 우러르며
생을 주시고 빛내여주신
어머니를 따릅니다
사심없이 변함이 없이
그대만을 사랑할 마음
어머니 어머니 위대한 어머니
영원히 안기렵니다

당이여 당이여 어머니당이여
영원히 반들렵니다
2014年5月20日付の「労働新聞」に掲載された歌。党に関する歌として、わたしのなかでは「党を歌うのです」(ファン・ジニョン作曲)と双璧をなす近年の傑作という位置づけである。紙面で掲載された際、編曲者名の表示はなかったが、下の動画を見ると「ファン・ジニョン編曲」と書いてある。

■動画




(出演:牡丹峰楽団、歌唱:ラ・ユミ)

2016年4月4日月曜日

幸福のニナニナンノ (행복의 니나니 난노)

幸福のニナニナンノ
행복의 니나니 난노
2010年発表, ユン・ドゥグン (윤두근) 作詞, ファン・ジニョン (황진영) 作曲
ああ 五穀が波となる
農場ごとに 田野ごとに
百果が波となる
この豊年は だれのおかげか
この喜びは だれのおかげか
将軍様のおかげなのだ
われらの暮らし ニナニナンノ
われらの生活 ニナニナンノ
チュチェ農法 花開き
収穫の山は うず高し
ニナニガ ニナニナンノ
幸福の ニナ ニナニナンノ

ああ 絹の反物 あふれかえる
工場ごとに 織機ごとに
万福が あふれかえる
この慶事は だれのおかげか
この繁栄は だれのおかげか
将軍様のおかげなのだ
われらの暮らし ニナニナンノ
われらの生活 ニナニナンノ
最先端へ はばたきながら
あらたな奇跡を 創造する
ニナニガ ニナニナンノ
幸福の ニナ ニナニナンノ

ニナ ニナ ニナニヨ
ニナ ニナ ニナニヨ
幸福の ニナニヨ アー
チョッタ チョッチ

ああ 理想が花開く
首領様の一生の願い
この地に花開いた
この転換は だれのおかげか
この誇りは だれのおかげか
将軍様のおかげなのだ
われらの暮らし ニナニナンノ
われらの生活 ニナニナンノ
社会主義万歳の声
世界中に響きわたる
ニナニガ ニナニナンノ
幸福の ニナ ニナニナンノ

アー ナニヨ
幸福の ニナ ニナニガナンノ
チョッタ
아 오곡이 물결친다
농장마다 전야마다
백과가 물결친다
이 풍년 뉘덕이냐
이 기쁨 뉘덕이냐
장군님 은덕이라네
우리 살림 니나니 난노
우리 생활 니나니 난노
주체농법 꽃이피여
로적가리 높아가니
니나니가 니나니 난노
행복의 니나 니나니 난노

아 비단필 쏟아진다
공장마다 기대마다
만복이 쏟아진다
이 경사 뉘덕이냐
이 부흥 뉘덕이냐
장군님 은덕이라네
우리 살림 니나니 난노
우리 생활 니나니 난노
첨단향해 나래치며
새 기적을 창조하니
니나니가 니나니 난노
행복의 니나 니나니 난노

니나 니나 니나니요
니나 니나 니나니요
행복의 니나니요 아
좋다 좋지

아 리상이 꽃펴난다
수령님의 평생소원
이 땅에 꽃펴난다
이 전변 뉘덕이냐
이 자랑 뉘덕이냐
장군님 은덕이라네
우리 살림 니나니 난노
우리 생활 니나니 난노
사회주의 만세소리
온 세상에 울려가니
니나니가 니나니 난노
행복의 니나 니나니 난노

아 나니요
행복의 니나 니나니가 난노
좋다
■歌詞について

「ニナニナンノ」というのは京畿道民謡などに見られるかけ声。ここではそのまま片仮名で表記しました。

■動画

2016年3月2日水曜日

夜空に降る雪よ (밤하늘에 내리는 눈송이야)

夜空に降る雪よ
밤하늘에 내리는 눈송이야
1985年創作, 정동우 (チョン・ドンウ) 作詞, 우정희 (ウ・ジョンヒ) 作曲
静かな夜空に
舞い降りる雪よ
わが心がどこへ馳せているか
おまえは 知っているだろう
ああ あの煌々と明るい
党中央の窓辺に
長い夜が明けてしまいますよと
そっと一言 伝えておくれ

静かな夜空に
舞い降りる雪よ
密営のあの夜にも
おまえは舞い降りた
お母様がお歌になった
あの日の子守歌
恵み深いあの窓辺に
おまえよ 贈って差し上げろ

静かな夜空に
舞い降りる雪よ
ひとひらひとひらの ぬくもりで
冷たい風を 防いでおくれ
党中央の窓辺に
思索は深まるけれど
あたたかいカーテンとなって
お休みになれるよう しておくれ
고요한 밤하늘에
내리는 눈송이야
내 마음 가는 그곳
너는야 알고있지
저기 저 불밝은
당중앙창가에
긴긴밤이 지샌다고
한마디만 전하여주렴

고요한 밤하늘에
내리는 눈송이야
밀영의 그밤에도
너는야 내리였지
어머님 불러주시던
그날의 자장가소리
은혜로운 저 창가에
너 고이 실어다주렴

고요한 밤하늘에
내리는 눈송이야
따뜻한 송이송이
찬바람 막아주렴
당중앙창가에
사색은 깊어가는데
포근한 창가림 되여
이밤을 쉬게 해주렴
■動画

2016年2月16日火曜日

【2.16慶祝特集】芸術公演「追憶の歌」を振り返る

2015年は、朝鮮音楽にとって激動の1年であった。前例の踏襲を基本姿勢とする北朝鮮の音楽政策にあって、2015年には、これまで朝鮮音楽に接してきた者の「常識」を越えるような大胆な現状変更が見られたためだ。ここでは、その「変化」の台風の目となった芸術公演「追憶の歌 (추억의 노래)」(2015年2月〜4月)を振り返り、同公演がいかなる点において画期性を有していたか確認したいと思う。


■ 芸術公演「追憶の歌」の概要

▲第7次全国体育人大会参加者らが芸術公演「追憶の歌」を鑑賞したことを報じた記事。
2015年3月30日付労働新聞より

芸術公演「追憶の歌」は、2015年2月から4月にかけ、平壌の人民劇場で開かれた。朝鮮中央通信によれば、本公演は2月21日の初演以来、期日の延長を繰り返し、公演回数が70回に達した4月16日にようやく終演した예술공연 《추억의 노래》 70회。観覧者の総数は10万8,300人あまりに達したという。上記会期の足掛け日数は55日間であることから、1日のうちに複数回の上演が行われた日もあったと考えられる。なお、終演後、2015年中盤には木欄ビデオ社より本公演の「実況録画」DVDが制作・発売された。


「追憶の歌」というタイトルが示唆するように、本公演は最新の音楽を取り上げるものではない。本公演を貫くテーマは「金正日と音楽」である。舞台美術には故・金正日総書記を象徴するモチーフである「金正日花」のモチーフが用いられているほか、公演中にも金正日総書記への言及や、金正日総書記に関連する歌や写真が数多く取り入れられた。必然的に、出演者も金正日総書記の指導を直接受けた世代、すなわち1960年代後半〜1990年代に活躍した音楽家たちが中心である

本公演に出演した音楽家たちの主な出身団体は、次の通りである。なお、ここでは便宜上、公演を①〜③という3パートに区切った。

①万寿台(マンスデ)芸術団など
②普天堡(ポチョンボ)電子楽団
③王在山(ワンジェサン)芸術団

上記①〜③のすべてについて詳述したいところだが、残念ながらそこまでの余裕はない。ここでは、上記のうち②と③において、普天堡電子楽団および王在山芸術団がいわば「復活」を遂げたことに関する情報の整理に専念する。そのためには、まず、両楽団が本公演までいかなる状況に置かれていたか確認する必要があろう

■ 「追憶の歌」までの普天堡と王在山

普天堡電子楽団(1985年結成)と王在山芸術団(旧称・王在山軽音楽団、1983年結成)は、ともに1990年代の大衆歌謡黄金期を支えた楽団である。さらに、結成の経緯こそ異なるものの、両楽団とも金正日総書記の個人的な庇護のもとに活動し、また王在山芸術団から普天堡電子楽団に移籍したと思われる音楽家もいるなど、両楽団は切っても切れない関係にある。さらに、両楽団の作品は北朝鮮さまざまな楽団によって演奏され、現在に至るまで放送や各種行事で盛んに用いられている。このように、両楽団の音楽活動は北朝鮮の「音楽政治」に決定的な影響を及ぼした

ところが2000年代、特に中盤以降、普天堡電子楽団および王在山芸術団の活動は極めて低調な状態に陥った。普天堡電子楽団および王在山芸術団の新曲が減少するに伴い、北朝鮮のテレビ・ラジオでは2006年以降、以下のような異変が見られた。

  • 「啓蒙期歌謡」(植民地時代の歌謡曲のうち「進歩的」と認定されたもの)が突如として盛んに放送されるようになる(2006年ごろから)
  •  普天堡電子楽団のかつての作品が別の歌手によって吹き替えられ、オリジナルが放送されない(2006年ごろから)
  • 「普天堡電子楽団ソベクスグループ」「普天堡《ウナス》」「普天堡《牡丹峰》」といった名称のグループが出現し、その作品が放送される(2007年ごろから)

その後、2010年ごろに、「突破せよ最先端を(돌파하라 최첨단을)」「いつになれば来てくださりますか(언제면 오실가)」「攻撃戦だ(공격전이다)」など、普天堡電子楽団名義の(ないし普天堡電子楽団の歌手が出演する)作品がいくつか発表した。しかし、これを最後に普天堡電子楽団の動静はほぼ途絶えた。また、王在山芸術団に関しては、2011年4月〜5月と2012年1月に公演を行ったとの報道があった。だが、これを最後に、普天堡電子楽団と同じく動静はほぼ途絶えた。

2013年1月、「牡丹峰楽団」の結成経緯に関する報道のなかで「敬愛する元帥様が父なる将軍様の築かれた普天堡電子楽団を継承してわれわれ式の新しい軽音楽団を自ら組織してくださ」ったという事実が明らかになった。これは、普天堡電子楽団がすでに組織として存在しないことを示唆するものである。

そして2014年5月、北朝鮮政府は、かつて普天堡電子楽団に所属した3人の作曲家(ファン・ジニョン、ウ・ジョンヒ、アン・ジョンホ)に労力英雄称号を授与した。ただし、リンク先の記事でも述べたように、この授与は、普天堡時代やそれ以前から現在に至るまでの彼らの実績全体を評価したというより、最近の牡丹峰楽団への貢献に焦点を絞った授与であろう。とはいっても、普天堡電子楽団は間接的ながら「名誉回復」がなされた状態で芸術公演「追憶の歌」を迎えたのである。

一方、王在山芸術団が置かれていた状態はそれよりも遙かに厳しいものであった。王在山芸術団は2000年代以降、新曲の発表が低調化していったとはいえ、主に1990年代に創作・録音されたと考えられる膨大な数の器楽曲は、テレビやラジオでBGMとして盛んに用いられていた。この状況は、2013年夏頃に至るまで変わらなかったのである。

ところが2013年8月中旬を境に、王在山芸術団の作品がテレビやラジオで一切放送されなくなった。ちなみに、同年8月下旬から9月にかけ、複数の韓国メディアが「王在山芸術団の団員らが猥褻な動画を製作・販売し、その関係者が銃殺された」と報じている。報道の真偽は不明だが、いずれにせよ、王在山芸術団において何らかの重大な不祥事があったのは事実であろう


■ 「追憶の歌」における両楽団の出演形態


つぎに、本公演における両楽団の出演形態に注目したい。普天堡電子楽団に関しては、メンバー、冒頭の演奏紹介、バンドの編成、演奏曲目、さらには歌手や演奏家の衣装に至るまで、1990年代初頭の同楽団の形式を極めて忠実にリバイバルさせたものであった。25年前とは年齢も異なる楽団員たちが当時と同じような衣装を着たということであり、いささか無理があるとも言える。ただ、その無理を承知の上で、あえて当時と同じ演出で彼らを登場させることにこだわったという評価も可能だろう。

一方、王在山芸術団に関してはいささか事情が異なる。たしかに、王在山芸術団特有の軽快なアレンジはかつてのままだし、主要な出演者の衣装も1990年代のそれを彷彿とさせるものだ。ただ、楽団メンバーはかつての映像に比べて減っているように見受けられる。そして、それを補うかのごとく、楽団の背後に控えた正体不明のオーケストラが演奏に加わっていた。オーケストラを従えて演奏するこのスタイルは、かつての銀河水(ウナス)管弦楽団や、2015年7月に創設が発表された青峰楽団を連想させるものであった(なお、その後、2016年1月3日に朝鮮中央通信が「王在山芸術団青峰楽団新年慶祝音楽会」の開催を報したことで、青峰楽団が王在山芸術団の傘下にあることが判明した)。

このように、ほぼ「無傷」の状態で登場した普天堡電子楽団と比べると、王在山芸術団はやや形を変えての復活であったような印象を受ける。この事態は、前述の「不祥事」によって楽団が被った人的ダメージの現れと考えることもできるかもしれない

ただ、王在山芸術団をめぐっては明るいニュースもあった。本公演では、主要な出演者について現在の肩書きを紹介するキャプションが舞台上の大型スクリーンに表示された。そのなかに、「現在、王在山芸術団党書記」の人民芸術家・チョン・グォン(普天堡電子楽団の作曲家兼ピアニスト)をはじめ、いまの肩書きを王在山芸術団の所属として表示された者が複数いたのである。このことは、普天堡電子楽団と異なり、王在山芸術団が(傘下の青峰楽団以外は活動実態が不明であるものの)少なくとも組織としては存続していることを意味する

一方の普天堡電子楽団は、前述の通り牡丹峰楽団へ「継承」されたことが発表されており、組織としては解消したと考えられる。本公演中のキャプションにも現在の肩書きを普天堡電子楽団所属として表示された者がいなかった事実は、解消説を補強する材料であろう。本公演および同年10月の「1万人大公演」において普天堡電子楽団が出演したのも、同楽団が組織として恒久的に復活したというよりは、両公演への出演のためのアドホックな一時的「再結成」だと解するのが自然ではないだろうか。


■ リ・ジョンオとチョン・ヘヨン

つぎに、本公演の普天堡電子楽団出演部分において登場した2人の人物に焦点をあてたい。

かつて普天堡電子楽団の作曲家兼指揮者であったリ・ジョンオ (리종오)は、同楽団の黄金期を築いた中心人物であり、楽団の副団長(一説には団長)も務めた。リ・ジョンオは本公演中、普天堡電子楽団出演部分の途中から、自らの作品「かっこう」をフルートで演奏しながら登場短いスピーチを行ったのち、フルートを指揮棒に持ち替え、楽団の退場まで指揮を担当した

リ・ジョンオは普天堡電子楽団の中心的人物でありながら、近年は新たな作品も発表されず、動静が不明であった。これは、現在進行形で作品を発表している同じく普天堡電子楽団出身のファン・ジニョンらとは対照的である。

しかし今回の公演で、リ・ジョンオの健在が確認された。しかも、単に指揮者として姿を見せるにとどまらず、フルートを演奏しながら登場し、スピーチもこなしたのである。これは、リ・ジョンオ個人をあえて前面に押し出すような演出である。思うに、わたしと同じように、朝鮮の人々もリ・ジョンオの動静が気になっていたのではないだろうか。だとすれば、本公演においてリ・ジョンオにここまでのことをやらせた背景には、彼の安否に関する人々の心配、もっと言えば、巷での「悪い噂」を打ち消したいという意図があったのではないか。そんな邪推をしてしまう。

そして、もうひとつ指摘しておかなければならないのは、ステージ上のスクリーンに表示されたリ・ジョンオの代表作リストに、あの「足取り(パルコルム)」が含まれていたことだ。「パルコルム」の作曲者がリ・ジョンオであることが公式に明らかにされたのは今回が初めてではないものの、今回、このような形で再び作曲者名が明示されたことで、人々は普天堡電子楽団が「音楽政治」に刻んだ痕跡の大きさを改めて垣間見させられる結果となったのではないだろうか。

さて、本公演の圧巻とも言えるのが、歌手チョン・ヘヨン (전혜영) によるスピーチおよび「その懐を忘れられない(그 품을 못 잊어)」の独唱であった。

チョン・ヘヨンは本公演において、「口笛(휘파람、1990年創作)」をはじめとする自らの代表曲を数曲、披露。そして、それに続いてスピーチを行った。その一部を抜粋する。
 わたしは今日、この舞台でぜひとも話したいことがあります。わたしは小さいころから、歌手になることが夢でした。しかし、見ての通り背がとても低いため、専門家たちは「ステージに立つことはできない」といって、みな反対しました。

 ところが、父なる将軍様だけは、わたしの才能の芽を大切に思ってくださって、普天堡電子楽団に歌手として呼んでくださり、どんな労もいとわず、わたしを人民俳優として、「口笛歌手」として、引き立ててくださいました。

 しかしながら、1999年からおよそ5年間、悲しいことに、わたしは声帯麻痺のため歌うことはおろか言葉もまともに話すことができませんでした。この事実の報告を受けられた父なる将軍様は、深く心を痛められ、チョン・ヘヨンの声を必ずや治そう、大金を投じてでも人民の記憶のなかに残っている「口笛歌手」の声を取り戻そうとおっしゃり、世界最上級の医療チームを用意してくださいました。そして、5年が経ったときには、わたしは再び歌を思う存分、歌えるようにしてくださったのです。

 われらの将軍様のような方が世の中のどこにいらっしゃいますでしょうか。
チョン・ヘヨンが目をうるませながら上記の一節の述べ終えたころには、それまで和やかに公演を楽しんでいた観客席の雰囲気も一変。映像には涙を拭う者の姿が多数、見られた。

その後、チョン・ヘヨンは「きょうは、敬愛する元帥様が親しく用意してくださったこの意義深い舞台において、この歌を再び歌ってみます」と述べてスピーチをしめくくり、「その懐を忘れられない」を絶唱したのである。実際の歌唱の流れに沿って「その懐を忘れられない」の歌詞は紹介すれば、次のようになる。
(1番)
遠くへ行っても 遠くへ行っても わが胸のなかには
忘れられず いとしい 忘れられず いとしい 懐がある
わたしを育て 引き立ててくださった ありがたい恩人
夢のなかでも呼び慕って 眠れなかった
(2番…歌唱されず)
(間奏)
ああ ああ ああ ああ
(3番)
その懐を離れれば その懐を離れれば わが人生はなく
こころは いつでも こころはいつでも ともにあるのだ
帰ってきて 抱きしめられたとき 涙が先に立って
遠慮もせず お裾を お濡らしした
ああ ああ わたしのお父さん
いとしいその懐を わたしは忘れられない
「その懐を忘れられない」自体は、先述の通り1992年創作の曲であり、チョン・ヘヨンの声帯麻痺に関するエピソードと直接の関係はない。ただ、上記のスピーチを念頭に置いたうえでこの歌詞を噛みしめると、この歌はまた違った印象を見せる。特に、間奏部分でチョン・ヘヨンは、総書記の配慮により回復したという声帯をあらん限りの力で振るわせ、歌声を張り上げた。その姿に、多くの観客たちはいよいよ涙腺が限界に達し、頬を伝う熱いものを気にもとめず彼女の歌唱に聞き入った。



チョン・ヘヨンの声帯麻痺に関する「告白」は、単なるありがちな「感動的な逸話」の紹介という枠にとどまらず、普天堡電子楽団およびそのメンバーにたいする金正日総書記の「ただならぬ寵愛」を示唆する効果があったように思う。さらに、そこからチョン・ヘヨンが「敬愛する元帥様が親しく用意してくださったこの意義深い舞台において…」と話をつなげたことから、かつてと同じく現在も普天堡電子楽団は指導者から特別視されており、今回も金正恩第1書記の配慮によって「復活」が実現した——という筋書きが見て取れる


■ 朝鮮音楽史のなかの「追憶の歌」

「追憶の歌」の開幕から1年を経たいま、ようやく本サイトで同公演を取り上げることができた。「遅い」と感じる方も少なくないだろうが、見方を変えれば、1年間「寝かせた」ことで、たとえば2015年10月に行われた「1万人大公演」との異同や、王在山芸術団と青峰楽団の関係が明らかになったことなど、公演直後の段階では得られなかった視点からの分析を行うことが可能となったとも言える。せっかくなので、そういった観点を踏まえて、芸術公演「追憶の歌」を朝鮮音楽史のなかでどのように位置づけることができるか、改めて整理してみたい。

本公演の意義は、金正恩政権が「金正日時代の音楽」の総括を行い、その評価を表明したことにあったとわたしは考える。

もちろん、本公演における普天堡電子楽団と王在山芸術団の「復活」が、あまりにも「何事もなかったかのような」復活であったことは指摘せざるをえない。'00年代後半以降の両楽団の「沈滞期」や、(王在山芸術団と似たように)2013年のある時期を境に公式メディアからほとんど姿を消した銀河水管弦楽団の処遇についてなど、21世紀に入ってからの朝鮮音楽史には依然として「謎」が多いのである。そういった「謎」については、「追憶の歌」から1年を経たいまなお「謎」のままだ。

しかし、芸術公演「追憶の歌」を通じて金正恩政権が普天堡電子楽団と王在山芸術団への肯定的評価を鮮明にしたことで、そういった「謎」が解き明かされていくための最低限の条件が整ったとも見ることができる。しかも、北朝鮮の公式文献が「ある時期にある分野が沈滞していたが、領導者の的確な指導により復活を遂げた」というような歴史解釈を表明している例は少なくないし、解放以後の朝鮮音楽史に関してもその例外ではない。それゆえ、前述の「謎」についても、今後、何らかの形で明らかになっていく可能性は決して低くないのではないか。わたしはそう考えるのである。

さて、たしかにこの「謎」は、朝鮮音楽愛好家としては大いに気になる問題ではある。ただ、そうはいっても、仮にそれが明らかになったとして、朝鮮音楽史全体からすれば脇道的なエピソードに留まるのではないかと思う。それよりも、ここで注目すべきは、本公演が(「謎」を脇に置いたままではあるが)「金正日時代の音楽」と「金正恩時代の音楽」との連続性を明確にする役割を果たしたことだ。

金正日政権の最末期、普天堡電子楽団と王在山芸術団の活動が低調な状況のなかで「金正恩時代の音楽」は船出した。それゆえ、牡丹峰楽団と普天堡電子楽団の関連を明らかにする報道などがあったとはいえ、「金正日時代の音楽」と「金正恩時代の音楽」との連続性は、全体的に見ればこれまで不明瞭であった。しかし、金正恩政権は、芸術公演「追憶の歌」を通して「金正日時代の音楽」を積極的かつ肯定的に評価することで、いわばその状況に終止符を打った。本公演およびその後の様々な動きを通し、「金正恩時代の音楽」が「金正日時代の音楽」の莫大の遺産の上に成り立っているという事実が、これまでになく明白になったのである。

このように整理してみると、芸術公演「追憶の歌」は、ただ過去の音楽を「追憶」するだけの公演ではなかったことがわかる。芸術公演「追憶の歌」は、朝鮮音楽の「過去」から「現在」へ、そして「未来」へと、橋渡しの役割を演じたのだ。

 

2016年1月20日水曜日

党旗よ、とわに汝とともに (당기여 영원히 그대와 함께)

党旗よ、とわに汝とともに
당기여 영원히 그대와 함께
2013年発表, 集団作詞, ファン・ジニョン (황진영) 作曲
汝のいとしく まぶしい姿
われら心には 母として刻まれた
党旗よ 汝は われらの希望
うるわしき われらの未来
汝がくれた生を その懐に捧げ
汝だけを 愛してゆくぞ
党旗よ 

汝の火の如く たゆみない情熱
風を切る音は はばたく祖国の歌
党旗よ 汝はわれらの きれいな夢
乱れ咲く われらの幸福
われらのいのち 尽きるまで
汝の思いに 一途でいようぞ
党旗よ

われらは信じる ただ汝だけを
歳月の果てまで 嵐を防いでくれる汝
党旗よ 汝は われらが団結した力
輝かしい われらの勝利
永遠不滅なる 汝とともに
あらゆる栄光 迎えようぞ
党旗よ
그대 정답고 눈부신 자태
우리 맘속에 어머니로 새겼네
당기여 그대는 우리의 희망
아름다운 우리의 미래
그대 준 생을 그 품에 바쳐
그대만을 사랑하리라
당기여

그대 불같고 줄기찬 열정
펄럭임소린 나래펴는 조국의 노래
당기여 그대는 우리 고운 꿈
만발하는 우리의 행복
우리의 생명 다할 때까지
그대 뜻에 참되리라
당기여

우린 믿노라 오직 그대를
세월 끝까지 눈비바람 막아줄 그대
당기여 그대는 우리 뭉친 힘
빛발치는 우리의 승리
영원불멸할 그대와 함께
모든 영광 맞이하리라
당기여
■動画


出演:牡丹峰楽団
 
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