2011年1月31日月曜日

少年パルチザンの歌

少年パルチザンの歌」は、この資料によると1951年の映画音楽なんだそうです。戦時歌謡ですね。
少年パルチザンの歌  歌詞日本語訳

山に野に 花が咲き ヒバリが歌っていた
生まれ育った ぼくらの村を見よう
深夜の闇に うめき声が響く
ああ 小さな心臓に 赤き血がたぎり
進み出たのだ 戦いの道に
故郷のため

緑の丘に登って 楽しく学んだ
誇らしい ぼくらの村を見よう
焼け跡の壁には 仲間の血がにじんでいる
ああ 小さな胸に 憎悪の火がともり
進み出たのだ 復讐の道に
仲間たちのため

空は青く 水は清き ぼくらの祖国から
血に飢えた侵略者を 残らず叩き出そう
父母兄弟の血痕は ぼくらを見て叫ぶ
ああ 小さな肩に 復讐の銃を担いで
進み出たのだ 勝利の道に
祖国のため
산에들에 꽃이피여 종달새 노래하던
나서자란 우리들의 마을을 보아라
깊은밤 어둠속에 신음소리 흐른다
아... 나어린 심장에 붉은 피는 끓어
나섰다 싸움의 길로
고향을 위하여

푸른언덕 올라서서 배움에 즐겁던
자랑스런 우리들의 마을을 보아라
타다남은 담벽에 동무의 피 어려있다
아... 나어린 가슴에 증오의 불은 일어
나섰다 북수의 길로
동무를 위하여

하늘 푸르고 시내맑은 우리 조국땅에서
피에 주린 침략자 모조리 쳐부시자
부모형제 피자국은 우릴 보고웨친다
아... 나어린 어깨에 북수의 총을 메고
나섰다 승리의 길로
조국을 위하여
나어린」の訳は「少年団行進曲」のときにも迷ったのですが、「幼い」よりも「小さい」の方がしっくり来るような気がするので、そうしました。ちなみに、Naver国語辞典によると、「나어리다」というのは「나이가 어리다」から来ているらしいです。

동무(トンム)」の訳も、いつも迷うんですよねぇ。今回は「仲間」としました。

「父母兄弟の血痕は ぼくらを見て叫ぶ」は「父母兄弟の血痕 ぼくら見て叫ぶ」の間違いかとも思いましたが、歌を聴く限り「부모형제 피자국은 우릴 보고웨친다」と言っているので、「父母兄弟の血痕 ぼくら見て叫ぶ」で間違いなさそうです。

mp3あげときますね。

  • 少年パルチザンの歌 - mediafire
    拾い物。どこで拾ったかは忘れた。普天堡電子楽団、歌は全惠英。


映画「少年パルチザン」の内容が気になりますね。まあ、たぶんこの歌の歌詞通りの話しなんでしょうが。


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2012/10/25 朝鮮語歌詞を追加

2011年1月13日木曜日

どこへ行っても忘れずにいよう、われらの友情 (어데 가나 잊지 말자 우리의 우정)

「攻撃戦だ」のコメント欄にてご紹介いただいた普天堡の新曲「どこへ行っても忘れずにいよう、我らの友情」。前奏のオープニングも何やら凝っていて、かっこいい曲です。最初の2分ぐらいはインストでたっぷり聴かせておいて、それから歌に入るのは、「我らは農場の主人」「フルラリ」などの初期の名曲を彷彿とさせます。往事の芸術指向への回帰だとしたら嬉しいんですが。
どこへ行っても忘れずにいよう、われらの友情
어데 가나 잊지 말자 우리의 우정
革命歌劇「党の真なる娘 (당의 참된 딸)」より
1971年創作, 김두일作詞, 손창세作曲
戦闘の火のなかで 結ばれた戦友よ
どこへ行っても忘れずにいよう 我らの友情
米帝を打ち倒す 戦いの道で
友よ 青春を祖国に捧げよう
ああ 友よ 青春を祖国に捧げよう

どこへ行っても忘れられない 戦友たちよ
勝利の広場で また会おう
米帝を打ち倒った 誇りを抱いて
首領様に忠誠の報告を捧げよう
ああ 首領様に忠誠の報告を捧げよう
(下記動画をご参照ください)
歌詞はいたって普通ですね。動画の3番は2番の繰り返しです。



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2011年1月14日追記

ググったらこの曲についての逸話が出てきた。訳してみる。
チュチェ98(2009)年3月17日 革命逸話

真夜中に見てくださった画面音楽

 英雄的朝鮮人民軍創建75周年を迎えたチュチェ96(2007)年4月25日、テレビ放送では普天堡電子楽団が女声5重唱と男声バックコーラスで新たに形象した歌「どこへ行っても忘れずにいよう、我らの友情」が画面音楽に編集されて軽快に響いた。

 戦闘の火のなかで 結ばれた戦友よ
 どこへ行っても忘れずにいよう 我らの友情
 米帝を打ち倒す 戦いの道で
 友よ 青春を祖国に捧げよう
 ああ 友よ 青春を祖国に捧げよう

 歌の節ごと、映像の一つ一つが、過ぎし闘争の道のりへの深い追憶と未来にへの希望を呼び起こし、豊満な情緒とロマンを抱かれてくれる名曲、名映像だ。
 新たに入隊した兵士らが、抗日武装闘争期と祖国解放戦争期に発揮した革命の第1世代、第2世代の闘争精神を受け継ぎ、敵米帝を打ち破って勝利の広場で忠誠の報告を捧げる決意を固く誓う場面で編まれた画面音楽と、戦火のなかをかきわけてきた戦争老兵たちが、戦勝記念塔の群像の前で生死をともにしながら戦った忘れることのできない戦友たちを思い出しながら新しい世代軍人たちに共和国旗を渡してやる場面を、歌と密着させて歴史と現実を幅広く映しだした画面音楽。
 画面音楽「どこへ行っても忘れずにいよう、我らの友情」は、建軍節を迎えた千万軍民の心臓を戦友愛と愛国・忠誠の気持ちの崇高な境地へ導いたし、彼らの胸を勝利者の矜持と自負心でいっぱいにした。
 しかし、人々は自分たちの心をそのように高ぶらせる画面音楽を視聴しながらも、それがいかにして建軍節をむかえる我がの人民に抱かれるようになったのかは、わからなかったはずだ。

 意義深い4月25日、日付が変わって2時が近づいた時であった。
 人々がみな深い寝りに就いていたその時間に、放送機関の責任者は敬愛する将軍様がかけてこられた電話に出ることになった。
 将軍様は、深夜に電話をかけてすまないとおっしゃって、中央放送委員会で数時間前に作って送り出した画面音楽についておっしゃった。
 「皆さんが第1案と第2案を作って送り出した画面音楽「どこへ行っても忘れずにいよう、我らの友情」を見ましたが、両案ともに良いです。そのうち第2案が映像についてはとても良いです。」
 そして将軍様は、二つの画面音楽を繰り返し見たが、歌が良いうえ、映像資料がすべて教養的価値があってどの場面も捨てる捨てがたかったと、また、第1案と第2案ともにに追い求める思想が、それぞれ異なる時点から画面上で明白に提示されるので、どちらか一つだけを選択することができなかったと、さらに、テレビ放送では両案をともに利用するがするが4月25日には第2案を放映するようにとおっしゃった。
 将軍様は、この度はテレビ放送で画面音楽を通じて歌の思想感情を浮き彫りにしてくれたとおっしゃり、限りなく満足されていた。
 敬愛する将軍様はお話を終えたが、責任者は受けた感動がとても大きくて、受話器を持ったまま立ち尽くしていた。
 (画面音楽一曲のために、この深夜にも休まないでこのように心血を傾けてくださるなんて…)
 そう思えば思うほど、責任者の胸は熱くなり、画面音楽放送にこれほど大きな意義を付与なさる烈火の偉人にたいする魅惑を禁じ得なかった。
 敬愛する将軍様の1分1秒がいかにして流れ、その1分1秒が祖国と革命のためにどれほど貴重であるかを、彼はよく知っていた。
 祖国と革命の運命を一身に担い、夜を日に継いで1分1秒も惜しんで奮闘しつつも「一日が24時間しかないのがもどかしい」とよくおっしゃる将軍様ではないか。
 しかも、将軍様が電話をかけてくださったその時刻は、夜があけてから盛大に挙行される建軍節慶祝行事に参加する前に処理しなければならない数多くの仕事を抱えていらっしゃった時であった。


長い… 中途半端だけど忙しいので以下省略。ごめんなさい。

確かに将軍様が絶賛されるだけあって、よくできた映像です。Youtubeにあるやつが第1案なのか第2案なのか気になります。

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2011年1月20日追記

この曲はは革命歌劇「党の真の娘」の挿入歌だったようです。
普天堡電子楽団第87集の「党の真の娘」メドレーの最後の方に入ってます。
なぜいままで気づかなかった…

2015/07/12 改修
 
(^q^)