2011年8月16日火曜日

誇りに満ちた海路

暑いので、さわやかな歌を。「誇りに満ちた海路」。キム・ボギュン作曲、チュ・ジェウク作詞、1955年創作(1995年の間違いではありません)。
誇りに満ちた海路 歌詞日本語訳

雲わく海を 船たちが走る
魚群うずまく 蒼茫たる海を
走れよ走れ 走れよ走れ 蒼波を切って
朝焼けに照らされたマストに 旗をなびかせて
ああ 歌にあふれる すがすがしい海の路は
われらの幸せを 縫いとってゆく路

霧が立つ入り江を 船たちが走る
カモメ飛び交う 優しい入り江を
走れよ走れ 走れよ走れ 海風を切って
陽射しに照らされたマストに 大漁旗なびかせて
ああ 歌にあふれる すがすがしい海の路は
われらの幸せを 縫いとってゆく路

ご覧のとおり、歌詞には政治や思想に関係する言及が全くありません。1955年にはこういう歌がまだあったんですね。

「われらの幸せを 縫いとってゆく路」というのは、蒼い海に描かれる白い船跡を刺繍に見立てた表現かもしれません。

mp3もあります。

  • 誇りに満ちた海路 - mediafire
    普天堡電子楽団第89集より。歌は金光淑、李粉姫。編曲は人民芸術家チョン・グォン。1955年の歌をここまで新鮮に「再形象」したのはすごいと思う。


2011年8月13日土曜日

社会主義はわれらのもの (사회주의는 우리거야)

社会主義はわれらのもの」(《사회주의는 우리 거야》)。リュ・ヨンナム作詞作曲、1992年創作。
社会主義はわれらのもの 歌詞日本語訳

自ら決めた道を われらはまっすぐゆく
ほかの人々が捨てても われらは捨てない
社会主義はわれらのもの
社会主義はわれらのもの
わが党が赤旗で守ってくれる
社会主義はわれらのもの

他人のやり方 他人のホラに われらは従わず
風が吹こうと われらは揺るがない
社会主義はわれらのもの
社会主義はわれらのもの
わが党が赤旗で守ってくれる
社会主義はわれらのもの

人民が 選択した 社会主義は
誰もが 暮らしよい 楽園なのさ
社会主義はわれらのもの
社会主義はわれらのもの
わが党が赤旗で守ってくれる
社会主義はわれらのもの

日本語訳だとわかりにくいのですが、「わが党が赤旗で守ってくれる」は次の行の「社会主義」を修飾していて、「わが党が赤旗で守ってくれる社会主義はわれらのもの」という一文になります。

この歌は、歌詞の内容や1992年という時代背景からも明らかなように、ソ連、東欧、中国などで連鎖的に起こった社会主義を「捨てる」動きに対応して作られた歌です。同種の歌としてはほかに、1991年の「社会主義を守ろう」が有名です。

「社会主義はわれらのもの」では「ほかの人々」が社会主義を捨てていることを明言している点、このテーマについて「社会主義を守ろう」よりも単刀直入に述べていると言えるかもしれません。しかし気になるのは、「社会主義を守ろう」では「人民大衆中心の我々式社会主義」に言及して《彼らの社会主義》と《われらの社会主義》が別のものであることを示唆しているのに対し、 「社会主義はわれらのもの」では《彼らの社会主義》と《われらの社会主義》が同じものであるかのように扱われていることです。なにしろ、ソ連のペレストロイカや中国の改革・開放を目の当たりにした共和国は、《彼ら》が社会主義を捨てようとしている気配を感じ、1980年後半には既に《彼らの社会主義》と《われらの社会主義》を区別する理論を完成させていました(c.f. 金正日「チュチェ思想教育における若干の問題について」1986年7月15日〈いわゆる7・15談話〉)。なので、この歌には「あれ?」という気がしないでもないです。


2011年8月4日木曜日

輝く祖国

李冕相(リ・ミョンサン)の代表作のひとつであり、共和国の国歌の候補だった「輝く祖国」です。
輝く祖国 歌詞日本語訳

半万年の悠久なる歴史
文化も輝きて
首領様の革命精神
あめつちにみなぎる
創造と労働に
血をたぎらす人民よ
燦爛たる人民祖国
とわに讃えん
朝鮮よ 朝鮮よ
永遠無窮 万々歳

三千里の錦繍江山
資源もあふれ
建設に燃やす意志
世界に轟きわたる
自由と幸福に
はばたく人民よ
富強なる民主朝鮮
とわに輝かさん
朝鮮よ 朝鮮よ
永遠無窮 万々歳

■ 解説
日本支配下のソウルで商業作曲家として活動していた李冕相は、1944年に故郷の咸鏡南道へ帰り、その地で第二次世界大戦の終結とソ連軍の進駐を迎えた。1945年8月26日、ソ連軍は38度線を封鎖し、南北朝鮮の往来は制限されることとなった。同年10月28日、金日成を委員長とする北朝鮮臨時人民委員会が発足。北朝鮮単独政権樹立への動きが加速していった。この時点ですでに、李冕相は朝鮮半島の北半分を代表する作曲家だった。

1947年、北朝鮮当局は愛国歌を制定すべく、作品を公募した。最終審査に残った2曲は、金元均(キム・ウォンギュン)の作品と、そして李冕相の作品だった。金日成の臨席のもと、最終試聴会が執り行われ、金日成は金元均のほうに軍配を上げたのである。かくして金元均の作品は愛国歌に制定され、1948年9月9日の朝鮮民主主人民共和国建国にともなって同国の国歌になった。現在、同曲はそのまま「愛国歌(애국가)」という曲名で知られている。(このへんの話の出典はこれ。リンク切れしているのでGoogleのキャッシュだが。)

一方、李冕相の作品は「輝く祖国」と名付けられた。「愛国歌」に次ぐ位置づけの歌とされ、「愛国歌」とともに国家の重要な行事などで演奏されるようになった。現在、朝鮮中央テレビでは毎日、オープニング(放送開始)に際して「愛国歌」が放送され、それに対応するかたちでクロージング(放送終了)では「輝く祖国」が放送される。こうした関係からも、「輝く祖国」の儀礼的な位置づけが建国以来揺らいでいないことがうかがえる。

なお、いつの時点で「愛国歌」「輝く祖国」に歌詞がつけられたかは不明だが、両曲とも作詞は詩人・朴世永による。歌詞のうち「首領様の革命精神」というくだりは、後年に差し替えられたものだろう。


■ 訳について
받들다 に「讃える」という訳を充てるという初めての試みをしてみた。意味としては「仰ぐ」が正確だが、それだとあまり自然な日本語にならないので。


■ mp3
  • 輝く祖国 - Mediafire
    朝鮮のうた第43集《李冕相作曲集1》より


■ 動画


↑合唱



↑朝鮮中央テレビクロージング(現行版)



↑朝鮮中央テレビクロージング(旧版)
 
(^q^)