2011年3月25日金曜日

平壌

ファン・ジニョン作曲の「平壌」という曲。Uriminzokkiriが2010年11月にYoutubeにアップしていて、気に入ったので訳してみました。
平壌 歌詞日本語訳

ああ平壌 我らが首都よ

陽射しも明るい 我らが平壌は 名前も美しい
全世界が その名を 歌うかのように呼ぶ
平壌 我らの愛する街 限りない栄光の都市
平壌 太陽の生地 全世界に光を振りまけよ
誇りに満ちた我が平壌 偉大なる祖国の心臓
永遠なる我らが首都よ

お前が夜明けの窓を開けば 新しい日がまばゆい
人民の あらゆる夢が この街で花開く
平壌 若さがみなぎり 希望に満ちた朝の都市
平壌 太陽の微笑み 空を覆って輝く
誇りに満ちた我が平壌 偉大なる祖国の心臓
永遠なる我らが首都よ

お前の力強い信念のごとく 赤旗翻る平壌
広々とした 広場には 一心の隊伍 限りない
平壌 民族の気性 あふれる不屈の都市
平壌 ここから我らは 世界へ向けて走りだす
誇りに満ちた我が平壌 偉大なる祖国の心臓
永遠なる我らが首都よ

歌詞を見た第一印象は、ソ連で1937年に作られた「5月のモスクワ」に似てるなぁ——と。

2011年3月16日水曜日

若い機関士 (젊은 기관사)

コメント欄にてリクエストいただきました「若い機関士」。普天堡電子楽団の初期のレパートリーです(普天堡電子楽団第2集所収)。
若い機関士
젊은 기관사
1966年創作, 변병순作詞, 리학범作曲
朝日が射す 鉄道の上に 若い機関士
汽笛ならして 汽車を走らせた
砲煙を掻き分けて来た 勇敢なその若者
厳しいその日にも 汽車を走らせた

愛する故郷の地を 思い浮かべながら
変わらず戦ってきた 若い機関士
倒れた戦友の 恨みを晴らさんと
熱き胸に 誓いを固めた

ああ

血に染まった 千里万里を 行こうとも
首領様への誓いを 守り戦わん
노을비낀 철길우에 젊은 기관사
기적소리 울리며 기차를 몰았네
포연을 헤쳐온 용감한 그 젊은이
준엄한 그날에도 기차를 몰았네

사랑하는 고향땅을 그리어보며
변함없이 싸워온 젊은 기관사
쓰러진 전우의 원한을 씻으려
뜨거운 가슴속에 맨세를 다졌네

아-...

피어린 천리길 만리를 간다해도
수령님께 다진 맹세 지키여 싸우리
戦争中の話しだったんですね、この歌。

■動画







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2011/05/28 動画追加
2014/02/10 朝鮮語歌詞追加

2011年3月14日月曜日

全ての党員と人民に告ぐ

金日成主席が死去した翌日の1994年7月9日に平壌放送(日本語)で文政姫アナウンサーにより読み上げられた布告を、録音から書き起こしてみました。この放送についてはアジア放送研究会に詳しく書かれています。

録音はこちら。
  • 「全ての党員と人民に告ぐ」 - mediafire
    平壌放送(日本語) 1994年7月9日

以下本文

全ての党員と人民に告ぐ。

 我々のすべての労働者階級と協同農民、人民軍将兵、知識人と青年学生、朝鮮労働党中央委員会と朝鮮労働党中央軍事委員会、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会と中央人民委員会、政務院は、朝鮮労働党中央委員会総書記であり朝鮮民主主義人民共和国主席である偉大な領袖金日成同志が1994年7月8日午前2時に、急病で逝去したことを、最も悲痛な表情で国じゅうの全人民に知らせる。

 人民大衆の自主偉業のために生涯を捧げられ、生の最後の瞬間まで祖国の隆盛発展と人民の幸せのために、国の統一と世界の自主化のために、休みなくエネルギッシュに活動された我々の敬愛する父なる主席が、あまりにも惜しく我々のそばを離れた。

 我々の社会主義偉業が折り重なる難関と試練を乗り越え、勝利に勝利を重ねており、朝鮮革命と祖国統一の行く手に新たな局面が開かれている歴史的なこの自国に、我が党と人民の偉大な領袖であり慈悲深い父である金日成同志が不慮に逝去なされたのは、我が党の革命の最大の損失であり、全民族の最大の悲しみである。

 敬愛する金日成主席は、代々、愛国的で革命的な家庭にお生まれになり、最も厳しい民族受難の時期に祖国解放の大志を育み、偉大な革命家に成長なされた。

 敬愛する金日成主席は、つとに、若年にして革命の道に身を投じ、80の高齢に至る長い間、我が党と人民を正しく導かれて、朝鮮民族史と人類史に永遠に輝く偉大な業績を積み上げた。

 敬愛する金日成主席は、永生不滅のチュチェ思想を創始し、立派に具現して、革命と建設を勝利一路へと導いて来られた、傑出した思想家、理論家であり、指導の天才であり、人民をこよなく愛し、人民のために全てを捧げて来られた偉大なる人民の領袖であった。

 偉大な金日成主席は、偉人が備える全ての品格と資質を、最も崇高なレベルで体現なされ、我が人民と世界人民が等しく仰ぎ慕い、限りなく尊敬する偉人のなかの偉人であられた。

 不世出の愛国者であり、伝説的英雄であられる金日成主席は、日帝の植民地支配の最も暗澹たる時期に、朝鮮革命の主体的路線を打ち出して、血の海、火の海をかき分け、20星霜にわたる抗日革命闘争を勝利へと導くことにより、祖国解放の歴史的偉業を成し遂げて、民族再生の道を開き、我が党と革命の万年の礎石である栄えある革命伝統を築いた。

 偉大な金日成主席は、解放後の複雑な情勢のもとで、チュチェの建党、建国、建軍路線を示し、立派に実現して、我が革命の参謀部である朝鮮労働党を創立なさり、朝鮮人民の栄えある祖国・朝鮮民主主義人民共和国を樹立され、朝鮮人民革命軍の伝統を受け継いだ人民軍を不敗の革命武力に育成した。

 偉大な軍事戦略家であり百戦百勝の鋼鉄の統帥者である金日成同志は、苛烈をきわめた祖国解放戦争の銃火を一身に担い、軍隊と人民を戦争勝利のための英雄的な闘争へと呼び起こして、帝国主義連合勢力の武力侵攻を撃退し、祖国の独立と栄誉を立派に守り通した。

 革命の偉大な領袖であり、創造と建設の英才であられる金日成同志は、前人未踏の道をかき分けて、朝鮮労働党と人民を導き、朝鮮式の独創的な革命路線と政策で、民主主義革命と社会主義革命を成功裡に遂行して、無から有を創造し、社会主義建設を協力に推し進めて、世紀的な立ち後れと貧困が支配していた我が国を、自主・自立・自衛の社会主義強国に変え、朝鮮人民を最も尊厳ある誇らしく幸福な人民にならしめ、社会主義の世界的模範を創造した。

 民族の太陽であり、祖国統一の救いの星である金日成同志は、国の統一を民族至上の課題に掲げ、祖国の自主的平和統一のための最も正しい原則と合理的な方途を示し、北と南、海外の全ての朝鮮同胞を、民族的団結と統一偉業へと呼び起こして、祖国統一の前途に明るい天望を切り開いた。

 人類の英才であり、国際共産主義運動の優れた指導者である金日成同志は、社会主義の旗印・反帝自主の旗印を高く掲げて、社会主義偉業の勝利と非同盟運動の強化発展のために、世界平和と人民間の友好団結のために、エネルギッシュに活動を展開なされ、我が国の国際的地位と権威を非常に高め、人類の解放偉業に不滅の貢献をなされた。

 人民の慈愛深い父であられる金日成同志は、革命活動の全期間、「以民為天」を座右の銘とされ、いつも人民とともにおられながら、人民と苦楽をともになされ、人民の自由と幸福のために険山峻嶺を乗り越え、数千数万キロの現地指導の道のりを歩まれながら、尽きない労苦を捧げてこられた。

 敬愛する領袖金日成同志の全生涯は、ひたすら祖国と革命のために、労働者階級と人民のために、あらゆる艱難辛苦に耐えて、厳しい革命の嵐をかき分けて来られた、偉大な革命家の最も輝かしい一生であったし、天才的英知と卓抜した指導力、不撓不屈の意志で災いを救い、逆境を順境に変えて、勝利の一路を紡いでこられた、偉大な指導者の最も栄えある一生であった。

 敬愛する領袖金日成同志は、ひたすらそのために一生を捧げてこられた祖国の統一のチュチェ革命偉業の完成を見届けられないまま、惜しくも逝去されたが、朝鮮革命が引き続き勝利の道ひとすじを力強く前進できる最も有力な武器と盤石のごとき土台を築いてくださった。

 こんにち、朝鮮革命の陣頭には、チュチェ革命偉業の偉大な継承者で、朝鮮労働党と人民の優れた指導者であられる我が革命武力の最高司令官である金正日同志が立っておられる。

 我が党の洗練された指導は、金日成同志が切り開かれ導いて来られたチュチェの革命偉業を代を継いで立派に継承完成できる確固たる裏付けとなる。

 我々には、党のまわりに一つの姿勢・意志で団結した全人民の底知れない力と必勝不敗の革命武力があり、最も優れた社会主義制度と威力ある自立的民族経済がある。

 我が党は、チュチェ思想の革命的旗印を高く掲げ、敬愛する金日成同志がお築きになったチュチェの革命伝統と不滅の革命業績を固く守り、金日成同志の革命偉業をあくまで完成していくであろう。

 我々は、いまの悲しみを力と勇気に変え、革命と建設のすべての分野で新たな一大高揚を起こすべきである。

 全ての党員と人民は、我が党の指導に心から従い、党のまわりにいっそう固く団結して、我々の一身団結の威力を不敗のものに打ち固めなければならない。

 我々は、敬愛する領袖金日成同志が打ちたてた人民大衆中心の朝鮮式の社会主義をしっかりと守り、さらに輝かせて、社会主義偉業を勝利のうちに完成すべきである。

 我々は、敬愛する領袖金日成同志が示した自主・平和統一・民族大団結の3大原則と、祖国統一のための全民族大団結10大綱領に則り、全民族の団結した力で祖国の自主的平和統一をあくまでも実現すべきである。

 我が党と人民は、偉大な領袖金日成同志が示した自主・平和・親善の理念をふまえて、自主性を擁護する世界各国人民との友好団結を強化するために積極的に努力し、自主的で平和な新しい世界を建設するために力強く戦うであろう。

 偉大な領袖金日成同志の心臓は鼓動を止めたが、父なる領袖としての気高い尊名と、慈愛に満ちたお姿は、朝鮮人民の心に永遠に生き続けるであろうし、主席が積み上げられた偉大な革命業績は、歴史とともに先年も万年も末永く輝くであろう。


朝鮮労働党中央委員会
朝鮮労働党中央軍事委員会
朝鮮民主主義人民共和国国防委員会
朝鮮民主主義人民共和国中央人民委員会
朝鮮民主主義人民共和国政務院

1994年7月8日

2011年3月8日火曜日

「民主青年行進曲」と「朝鮮青年行進曲」

最近古い歌ばっかりだが、今日も古い歌。1947年(46年?)にキム・ウォンギュンが作曲した「民主青年行進曲」である。キム・ウォンギュンというと、「愛国歌」や「金日成将軍の歌」を作曲した、あのキム・ウォンギュンだ。この歌は最近、共和国が歌詞の一部とタイトルを改め「朝鮮青年行進曲」として発表したということで取り上げてみた。

まずはオリジナル「民主青年行進曲」の歌詞和訳から。「朝鮮青年行進曲」と異なっている箇所は斜体にして下線を引いた。
民主青年行進曲
歌詞日本語訳

我らは民主青年 三千万人民の子ら
民主朝鮮を創建する 荘厳なる明日の闘士だ
職場から 学園から 民主の若い力が湧き出でて
建設の歌力強く 金将軍のまわりに団結しよう
勝利は我らのもの 真理として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

人民の巨大な力 三千里の新たな国を照らす
抗日の輝く伝統 我らは固く守らん
あらゆる自由 あらゆる幸福 我らの手でもたらしたのだ
民主の旗は空高く 金将軍のまわりに団結しよう
勝利は我らのもの 真理として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

我らのゆく手は困難でも 怯えるものはない
逞しい手をした我ら青年  洋々たる未来は開かれた
山を越え 海を渡り 民主の若い力は伸びてゆくのだ
友よ 手を取り合って 金将軍の回りに団結しよう
勝利は我らのもの 真理として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

歌詞はこの動画から取りました↓


この歌が1947年創作だという情報の出典はNaenaraに掲載されているキム・ウォンギュのプロフィール。加えて動画の冒頭にも「1947年創作」とキャプションが付いている。この歌詞が1947年創作当時の歌詞そのままだという保証はどこにも無いが、1947年当時の歌詞だとしても特に違和感はない。今回はとりあえずこれがオリジナル歌詞だということにして、話しを進めたいと思う。

では、続いて、新しい方の「朝鮮青年行進曲」。変更箇所は斜体・下線。
朝鮮青年行進曲
歌詞日本語訳

我らは朝鮮青年 知恵ある人民の子ら
富強祖国を建設する 荘厳なる明日の闘士だ
職場から 学園から 我らの若い力が湧き出でて
足取りも力強く 金将軍のまわりに団結しよう
勝利は我らのもの 真理として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

人民の巨大な力 我が国の山河にみなぎり
抗日の輝く伝統 我らは固く守らん
あらゆる希望 あらゆる幸福 我らの手でもたらしたのだ
赤旗は空高く 金将軍のまわりに団結しよう
勝利は我らのもの 真理として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

我らのゆく手は困難でも 怯えるものはない
全世界に先んじて 洋々たる未来は開かれた
山を越え 海を渡り 我らの若い力は伸びてゆくのだ
友よ 肩を組んで 金将軍の回りに団結しよう
勝利は我らのもの 真理として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

朝鮮青年行進曲


この「朝鮮青年行進曲」は、歌詞と楽譜が労働新聞(2月28日付)の1面に掲載された。




で、「朝鮮青年行進曲」の楽譜が労働新聞に載ったことについて、聯合ニュースがこんな記事を出している。下に引用するのは日本語版だが、韓国語版でも記事の趣旨は同様で、「パルコルム」の歌詞や後継関連の動きなどについての補足が少し多い感じである。

金正恩氏をたたえる新曲か、北メディアが歌詞を紹介

【ソウル28日聯合ニュース】北朝鮮が金正日(キム・ジョンイル)総書記の後継者、三男の正恩(ジョンウン)氏をたたえるとみられる新曲を紹介し、注目を集めている。

 朝鮮中央通信は28日、27日付の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」が「朝鮮青年行進曲」という歌を掲載したとし、この歌の楽譜と歌詞を紹介した。歌詞に「金将軍の周囲に集まろう」という部分があり、正恩氏を偶像化し、後継体制づくりを強固にする狙いがあるとみられる。

 また、北朝鮮では金総書記を「将軍さま」と称するが、この歌の歌詞に出てくる「金将軍」は、「さま」が付いていないため正恩氏を指しているのではないかとみられる。「金将軍」という表現が正恩氏を意味するのであれば、これまで「青年大将」「金大将」と呼ばれていた正恩氏の呼称が「将軍」に格上げされたとの見方も可能だ。

 これまで正恩氏をたたえる歌として対外的に知られている曲は「パルコルム(足取り)」しかない。北朝鮮は2009年1月、正恩氏を事実上の後継者に内定した直後に「パルコルム」を発表し、住民に学習させた。「パルコルム」の歌詞には正恩氏を象徴するとされる「金大将」や、金総書記の誕生日(2月16日)を示唆する「2月の偉業を受け継いで」などの表現があり、後継者の決定を暗示している。

 また、労働新聞は28日付で「青年らは朝鮮青年行進曲を高らかに歌い、昨今の大高潮激戦で先軍青年前衛の栄誉を轟かそう」と題した社説も掲載した。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/northkorea/2011/02/28/0300000000AJP20110228004600882.HTML

この記事では「朝鮮青年行進曲」が1947年の「民主青年行進曲」の改変版であることは言及されていない。記者はこの歌がまったくの新曲だと思って書いたのだろう。1947年ということは、「金将軍」が金日成を指しているということは自明である(当時まだ「首領様」という呼称はなく「金日成将軍」と呼ばれていた)。「この歌の歌詞に出てくる『金将軍』は、『さま』が付いていないため正恩氏を指しているのではないか」という分析についても、「金日成将軍の歌」「金正日将軍の歌」を引き合いに出すまでもなく、歌での歌詞では「金正日将軍」のように「様」を付けないことは何ら異例ではない。また、記者はこの歌の一節に「パルコルム」という歌詞があることについて触れていない(「民主青年行進曲」にはその歌詞が無い)。だから、この記事中で述べられているだけ根拠でこの歌を金正恩関係の歌だと言われても、あまり説得力が無いのである。

ところで、この「朝鮮青年行進曲」について報じたメディアがもう一つあった。Daily NK(韓国語版)である。この記事で注目すべきは、「朝鮮青年行進曲」が「民主青年行進曲」の詞を改変したものであるということを、脱北者の証言として伝えていることだ。当該箇所を訳出してみる。

脱北者らによれば、この曲は1946年1月17日に「北朝鮮民主青年同盟(民青)」が創立された後に発表された「民主青年行進曲」を改詞したものだ。この歌は中学生の登校や国家記念日を迎えた青年団体(大学)の歌唱行進に際して歌われていたと伝えられる。

80年代当時に歌われていた歌詞は、1節「建設の歌力強く 首領様のまわりに団結しよう」、2節「我が党のまわりに団結しよう」、3節「我が祖国を建設してゆこう」。これらを「部分」改詞したわけだ。

北朝鮮では金正日を「将軍様」と呼称するが、この歌の歌詞では「様」という依存名詞は付けられなかった。ゆえに、「金将軍」は金正恩を指していると見られる。そのため、「青年大将→金大将→金将軍」として呼称を徐々に格上げしながら「金正恩体制」を本格化させているという解釈も出ている。

北朝鮮が新聞を通じて「建設に歌→足取り(パルコルム)」「首領様・我が党→金将軍」などと改詞した曲を「朝鮮青年行進曲」として紹介したことは、住民たちに広く知られた歌を通じて金正恩偶像化を本格化させているとも読み取れる。

(中略)

労働新聞は28日1面に「青年たちは朝鮮青年行進曲を高らかに歌い、今日の大高潮激戦で先軍青年前衛の栄誉を轟かそう」と題する社説を掲載している。

これについて、ある高位脱北者はデイリーNKに「『金将軍』は金正恩を指しているように思われる」、また「これまで金正恩を『青年大将』『金大将』として偶像化のレベルを高めてきたし、この曲が『青年』を強調しているという点において金正恩を褒め称えるためのものであるように思われる」と説明した。
そして、最後に「労働新聞が載せた『朝鮮青年行進曲』の歌詞」を引用して、括弧付きで脱北者が記憶する80年代の「民主朝鮮行進曲」における相違点を付記している。訳は次の通り(Daily NKで括弧付きになっている部分を斜体・下線付きとした)。
我らは朝鮮青年 知恵ある人民の子ら
富強祖国を建設する 荘厳なる明日の闘士だ
職場から 学園から 我らの若い力が湧き出でて
建設に歌 力強く 首領様のまわりに団結しよう
勝利は我らのもの 鋼鉄として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

人民の巨大な力 我が国の山河にみなぎり
抗日の輝く伝統 我らは固く守らん
あらゆる希望 あらゆる幸福 我らの手でもたらしたのだ
赤旗は空高く 我が党のまわりに団結しよう
勝利は我らのもの 鋼鉄として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう

我らのゆく手は困難でも 怯えるものはない
全世界に先んじて 洋々たる未来は開かれた
山を越え 海を渡り 我らの若い力は伸びてゆくのだ
友よ 肩を組んで 我が祖国を建設してゆこう
勝利は我らのもの 鋼鉄として団結した力
捧げよう 祖国のため 人民のため 捧げよう
いかがだろうか。思うに、
①「朝鮮青年行進曲」が大昔に作られた「民主青年行進曲」の詞を改変したものであること 
②「民主朝鮮行進曲」が北朝鮮で広く知られた歌であること 
③「建設に歌→足取り(パルコルム)」の歌詞改変
——この3点に注目したうえで「朝鮮青年行進曲」が金正恩関係の歌である可能性を指摘しているDaily NKの記事は、先ほどの聯合ニュースの記事より説得力がある。

そして、脱北者が証言する「80年代当時に歌われていた歌詞」であるが、これは、冒頭に載せた「民主青年行進曲」(オリジナル)の歌詞とも、今回発表された「朝鮮青年行進曲」の歌詞とも微妙に異なっている。ただ、上に掲載した「民主青年行進曲」(オリジナル)の動画のようなテレビ映像が存在していることからして、「80年代版改変歌詞」の登場によってオリジナルの歌詞が葬り去られてしまったわけではないらしいということがわかる。以上を踏まえて3つの歌詞を見比べてみると、「民主青年行進曲」(1947年)→「民主青年行進曲」(80年代)→「朝鮮青年行進曲」と進化していったわけではなく、「民主青年行進曲」(80年代)と「朝鮮青年行進曲」がそれぞれオリジナルから派生したものだと推測できる。

結論として、「朝鮮青年行進曲」が大なり小なり金正恩を意識させる意図をもって発表された歌であることは確かだろう。しかし、「金大将」が金日成なのか金正恩なのかついては、明確な答えは見出せなかった。

これは私の推測だが、共和国の政権は、あえてそれを曖昧なままにしているのではないだろうか。すなわち、オリジナル歌詞で金日成を指していた「金将軍」の指す対象を金正恩に塗りかえてしまうことは、共和国のイデオロギーに照らして正当化できるのか甚だ疑問である。ただ、イデオロギー的正当性などというのは建前上の問題に過ぎない。実際のところ、このタイミングで、しかも「パルコルム」というキーワードとセットで「金将軍」という耳慣れない呼称を聞いたら、大半の人はそれが金正恩を指していると認識するだろう。それを狙っているのではないか。

たとえば、先日取り上げた「女性の歌」も1947年創作なので、歌詞中の「将軍様」は金日成を指している。しかし、現代において「将軍様」と言ったら金正日の呼称だ。「女性の歌」を歌う普天堡電子楽団、それを放送するテレビ局・ラジオ局、それを聴く人民は、その「将軍様」が金正日ではなく金日成だと認識した上で歌い、放送し、聴いているのだろうか?こういった「勘違い」を共和国のメディアが防ごうとしている形跡は私が知る限り無い。「朝鮮青年行進曲」の「金将軍」の件も、それと同じ次元の問題だ。

やはり、最新朝鮮音楽における金正恩の呼称問題について論じるならば、「じゃあ金正日のときはどうだったの?」という観点も避けては通れない。ただ、今回はそこまで手が回らないので、このくらいで閉めさせていただく。

最後にひとこと。朝鮮音楽の歴史上、このような歌詞改変は枚挙にいとまがないであろう。当サイトでも過去に「少年団行進曲」の歌詞の変化を取り上げた。今回は初めて「リアルタイム」で歌詞改変に立ち会えたような気がしていて(実際はパソコン画面の前に座ってるだけだけど)、感慨もひとしお、朝鮮音楽愛好家冥利に尽きるといったところである。そんなわけで無駄に熱が入って長文を書いてしまった。


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2011/03/13 3時57分
「キム・ウォンギュン」が「キム・ウォンギュ」になっていたのを直しました。
2016/05/10 23時05分
コメント欄でのご指摘に基づき「民主朝鮮行進曲」の和訳を修正。

2011年3月6日日曜日

釜馬車走る

釜馬車走る」は1960年創作。
釜馬車走る 歌詞日本語訳

豊年の農場に 釜馬車が走る
隊伍の後につい て釜馬車が走る
馬車には 脂の乗った肉に ふんだんな野菜
軍隊暮らしをうまく切り盛りした我らの手柄だ
オホー 鞭をふるう釜馬車乗り
ピチピチ跳ねるコイも揚げてきたよ
協同農場の養魚場が目の前に見えたら
鯨のような我らの魚を思い出す
戦術訓練へ行く道は 遙か遠くて
そよ風の吹く日陰で休むのも良いが
それよりもたっぷり食べることで力が出るのさ
副業のおかげで盛りだくさんの馬車 チョチョチョチョ
副業のおかげで盛りだくさんの馬車 チョチョチョチョ
豊年の野を すいすいと 走ってゆく 走ってゆく

真っ直ぐ伸びた新しい道路を 釜馬車が走る
兵営へと 兵営へと 釜馬車が走る
馬車では 炊事員たちの 満足そうな笑い
山海の珍味でもてなした喜びさ
オホー チョチョチョチョ
革命歌を歌いながら先立った戦友たち
いまここにいたらどれほど喜んだだろうか
共産主義の高い丘を目の前に描き
鋼のような手足で意気揚々と進む
兵営へ行く道は遙か遠くて
戦友たちとおどけて笑うのも良いが
それよりも歌うことはどれだけ力強いか
革命歌で愉快な馬車 チョチョチョチョ
革命歌で愉快な馬車 チョチョチョチョ
新しい道路を いそいそと走ってゆくよ



■歌詞について
なんか直訳調のイマイチな訳ですね。どうもこういう散文っぽいやつは苦手で。

가마마차(釜馬車)」というのは野外炊事車のことです。

고기」は南のNaver日本語辞典を引くと「動物の肉」と書いてあるのに対し、共和国の『朝日小辞典』には「①肉 ②魚」と出ている。おもしろい。

기름지다は直訳すれば「脂が乗っている」「肥えている」という意味だそうですが、「기름진 마차」は「盛りだくさんの馬車」としました。

덜렁덜렁」についてはNaver国語辞典で調べたのですが、ここでは1.の意味なのか4.の意味なのか判断が付きませんね。両方かもしれません。まあ、せっかくNaverさんが「北韓語」と注記して4.を載せてくれてるので、4.の方を採用してみました。

만수진찬」はおそらく漢字に直すと「萬壽珍饌」。うまい訳が思い付かないのでとりあえず「山海の珍味」としておきました。


■作曲者ソル・ミョンスン
「釜馬車走る」は巨匠ソル・ミョンスンが23,4歳で作曲したデビュー作です。ソル・ミョンスンはこの「釜馬車走る」で金日成主席から高い評価を受けて朝鮮人民軍協奏団に入団し、団長にまで上り詰めました。1969年から1973年にかけて発表された「5大革命歌劇」においても多数の曲を担当。金日成主席と金正日総書記の政治的信任と愛を受け、のちに「金正日将軍の歌」を作曲するという、共和国の作曲家としては最大の光栄に浴することになりました。

ソル・ミョンスンについては、毎日新聞で次のように言及されたことがありました。孫引きになってしまいますが引用します。
●ああ、明星

 その後継者こそ、金総書記と高夫人との間の息子、正哲(ジョンチョル)、正雄(ジョンウン)のいずれか(漢字は推定)とみられる。つい先だって、朝鮮中央テレビで新曲が発表された。タイトルは「ああ、セッピョラ(明星)」。“将軍さまの進まれる前線への道、ずっと照らしていておくれ……”。画面には大きな星がひとつ輝き、暗闇を走る車を守っているかのようである。「後継者を暗示していると思いますね。なぜなら作曲家のソル・ミョンスンは『金正日将軍の歌』を作曲した重鎮中の重鎮ですよ。単なる歌ではありえません」(平壌ウオッチャー)

 そういえば、人民軍兵士向けの雑誌「軍人生活」(02年10月号)に「金正日将軍の歌」誕生にまつわる逸話が紹介されている。軍指揮官が金総書記に「金正日将軍の歌」完成を報告するや「誰がこんな歌をつくれと命令したのか」と容認しなかった。怒る総書記を同席していた高夫人がとりなし、こう言ったと記されている。「私はこの歌が必ず軍隊から出てくるだろうと信じていました。偉大な将軍さまの頌歌(しょうか)は銃身から出てこなければなりません。私はこの『金正日将軍の歌』を支持します」

http://www.asyura.com/0406/bd36/msg/970.html


ソル・ミョンスンはまだ存命のはずなので、金正恩同志に関係する歌の創作に携わっているのかというが目下気になっているところです。「パルコルム」の作曲者もまだ判明していませんしね。


■動画

朝鮮人民軍協奏団によるタップダンス「釜馬車走る」

2011年3月4日金曜日

「突破せよ、最先端を」の動画8本

2009年に普天堡電子楽団の復活を華々しく飾った「突破せよ、最先端を」の動画をまとめてみました。


突破せよ、最先端を.avi


普天堡版の画面音楽。



[Song] "Attain the Cutting Edge" ("CNC Song") {DPRK}


「機動芸術宣伝隊 芸術小組公演より」とのこと。



[DPRK Music] 돌파하라 최첨단을


工場で労働者たちが「突破せよ、最先端を」を歌っています。全員将軍様ジャージw



녀성8중창과 혼성방창 돌파하라 최첨단을 음악무용대공연 《선군승리 천만리》중에서


女声8重唱と混声傍歌 突破せよ、最先端を 音楽舞踊大公演《先軍勝利千万里》より



KCTV (Performance by the Army Chorus of DPRK) 3/3


冒頭が功勲国家合唱団による「突破せよ、最先端を」。かっこいい!



돌파하라 최첨단을(집단체조)


金日成広場で行われた集団体操。まぁ、たまにはこういうのも悪くないと思うけど、この衣装の安っぽさはせめてどうにかならなかったのか…



【朝鮮音楽】「突破せよ、最先端を」「もっと高く、もっと早く」など3曲


Uriminzokkiriより転載。



【朝鮮音楽】突破せよ、最先端を 돌파하라 최첨단을


Uriminzokkiriより転載。普天堡版を切り貼りして6分半にしたようです。

2011年3月1日火曜日

女性の歌

1947年の古い歌「女性の歌」です。作曲者のキム・オクソンは「決戦の途へ」なども手がけていまず。
女性の歌 歌詞日本語訳

人民主権仰いで 進み出る女性たちよ
我らの力で祖国の基盤は 日ごとに建設される
工場の女性も 農場の女性も
胸ごとに燃える愛国心を抱いて
凛々しく団結しよう 将軍様のまわりに
燦爛たる我が祖国の 完全独立のため

すべての工場で すべての農場で 団結した女性たちよ
我らは祖国を建設する力だ
働こう ともに 我らの幸福のため
胸ごとに燃える愛国心を抱いて
凛々しく団結しよう 将軍様のまわりに
燦爛たる我が祖国の 完全独立のため

받들다は多義語ですね。だいたい一律に「仰ぐ」と訳してきましたが、日本語の「仰ぐ」に含まれる意味以外にも「支持する」や「たすける」(「助ける」というよりは「扶ける」や「輔ける」の方)の意味もあるようです。

朝鮮音楽さんの歌詞で「장군님 두리리」となっているのは「장군님 두리에」の誤植です。

「将軍様」というのは、1947年ですので当然ながら金日成将軍のことです。

「完全独立のため」というのは、1947年当時の朝鮮半島は38度線以北はソ連軍による軍政支配のもとにありました。そして翌1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国が成立し、形式上は「独立」を果たしたのでした。



産業建国の歌」のときにも書いたように、解放から共和国創建にかけては、名曲を多数生み出した時代でした。そのなかでも「女性の歌」は特に気に入っている歌です。洗練されているけど型に嵌ってしまった感じのある1990年代の普天堡の曲などでは味わえない雰囲気です。

ところで、これは私の持論なのですが、朝鮮音楽史上において名曲を多数生んだ「黄金期」と言える時代が3つあるように思います。

①1945-48年あたり(解放・共和国創建期)
②1969-73年(5大革命歌劇)
③1990年代初頭-中葉(普天堡電子楽団全盛期)

これら「朝鮮音楽の黄金期」は、いずれも金日成・金正日の権力基盤確立にとって重要な時期の重なっています。①は金日成がソ連の庇護のもと、民族主義者・南労党派・延安派などを差し置いて党と国家の指導者に確定した時期。②は金正日が主唱した「党の唯一指導体系」によって金日成の絶対化が完了し、それに伴って金正日が後継者として決まった時期。後継者決定に影響力をもつ老幹部たちの歓心を買うために金正日が「5大革命歌劇」を利用したという話しもあります。そして③は金正日による支配体制が完成し、金日成が死去した時期です。
 
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