2016年10月10日月曜日

【党創建71周年慶祝】お母さんの誕生日 (어머니생일)

お母さんの誕生日
어머니생일
2015年創作, 차호근 (チャ・ホグン)作詞, 김운룡 (キム・ウルリョン)作曲
喜びの10月 人民の祝日
千万の子息は心の 花束を結ぶ
黄金の10月 豊穣なる秋
その手が育てた   実りもたわわ
わたしのお母さん われらのお母さん
世界でいちばん 親しみ深いのだ
朝鮮労働党 お母さんの誕生日
10月の祝日 おめでとうございます

幸せの10月 幸運の祝日
その人徳の伝説は 山川を覆う
歓喜の10月 燃えあがる季節
山河も心も 赤く染めあがる
わたしのお母さん われらのお母さん
世界でいちばん 暖かいのだ
朝鮮労働党 お母さんの誕生日
10月の祝日 おめでとうございます

輝きの10月 不滅の祝日
もっと偉大な勝利が われらを呼ぶ
とこしえの10月 栄光の歳月
これからの未来は さらに眩しい
わたしのお母さん われらのお母さん
世界でいちばん 偉大なのだ
朝鮮労働党 お母さんの誕生日
10月の祝日 おめでとうございます
기쁨의 10월 인민의 명절
천만자식 마음의 꽃다발 엮네
황금의 10월 풍요한 가을
그 손길 가꿔준 열매도 많네
나의 어머니 우리 어머니
이세상 제일 친근하여라
조선로동당 어머니생일
10월명절 축하합니다

행복의 10월 행운의 명절
그 인덕의 전설은 강산을 덮네
환희의 10월 불타는 계절
산천도 마음도 붉게 물드네
나의 어머니 우리 어머니
이세상 제일 따듯하여라
조선로동당 어머니생일
10월명절 축하합니다

빛나는 10월 불멸할 명절
더 위대한 승리가 우릴 부르네
무궁할 10월 영광의 세월
맞이할 앞날은 더 눈부시네
나의 어머니 우리 어머니
이세상 제일 위대하여라
조선로동당 어머니생일
10월명절 축하합니다
■解説

朝鮮労働党を「母」になぞらえ擬人化する歌の嚆矢は「母なる党よ (어머니당이여)」(1964年創作)であり、決して珍しいものではない。近年でも「お母さんの声 (어머니의 목소리)」や「わたしの心の声 (내 심장의 목소리)」など、「母」のレトリックを用いた党頌歌は多数、生まれてきた。今回取りあげる「お母さんの誕生日 (어머니생일)」が党創建記念日を「誕生日」になぞらえたのも、この「母」類型の文脈から自然に出てきた発想であると言えよう。

ただ、「お母さんの誕生日」の特筆すべき点は、この作品が朝鮮労働党創建70周年という特定のイベントを盛り上げるための道具として、綿密に準備されたものだと考えられることだ。その点を確認するため、まずは「お母さんの誕生日」発表の経緯を振り返りたい。

いまから1年前の2015年10月、朝鮮労働党は創建70周年を迎えた。党創建70周年は党にとって大きな慶事であっただけに、それを盛り上げる朝鮮音楽界にとっては力量を試される機会になった。北朝鮮メディアは、同月11日から連日公演された1万人大公演「偉大なる党、燦爛たる朝鮮」や、同じく11日などに開かれた功勲国家合唱団と牡丹峰楽団の合同公演について、その関連報道を連日伝えた。またこの月、『労働新聞』は新曲を含む歌詞・楽譜を多数、掲載した。その掲載日、掲載面、そして曲名を以下に示す。
5日付[3面] - お目にかかりたいです (뵙고싶었습니다)
8日付 [7面]- われらの金正恩同志 (우리의 김정은동지)
9日付[4面] - わが党に永遠に従わん (우리 당 영원히 따르리)
10日付[8面] - お母さんの誕生日 (어머니생일)
15日付[2面] - 運命の手 (운명의 손길)
21日[4面] - われらは党旗を愛す (우리는 당기를 사랑하네)
このように、2015年10月の『労働新聞』に掲載された歌詞・楽譜は7曲にも及んだが、そのなかでも党創建70周年当日である10日付の紙面に掲載された曲が「お母さんの誕生日 」であった。

発表後さっそく、「お母さんの誕生日」は前記の合同公演において開始曲および終曲として登場。花火などの特殊効果とともに華々しく披露された。このような経緯からして、「お母さんの誕生日」は、党創建70周年という一大慶事を盛り上げるいわばテーマ曲のような位置づけの作品として、周到に準備されたものだったと想像できる。

ただ、「お母さんの誕生日」は党創建70周年を記念する作品として創作されたとはいえ、70周年のためだけに作られた曲ではなさそうだ。「お母さんの誕生日」は歌詞中で「70周年」に言及しているわけではないので、2015年の党創建70周年に限らず、毎年の党創建記念日を祝賀する歌として今後も利用していくことが可能な歌なのである。

「党創建記念日ソング」の地位は、かつて普天堡電子楽団の「10月です」(1995年創作)が事実上独占していた。「10月です」は「お母さんの誕生日」にその座を明け渡し、歴史的な役割を終えたのだろうか。そうだとすれば、少し淋しくもある一方、ポスト普天堡時代の朝鮮音楽がしっかりと新陳代謝している事実に、うれしさも感じるのである。


■動画

 
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